「私はあなたをずっと見つめ続けてきました。あなたは全く気づかなかったでしょうけど。ほら」 と柊は右手をスッと前に差し出した。そして、その手の上に半透明の球を浮かばせた。諸見はその中に視線を移した。 「私?」 そう、球の中にいたのは、諸見であった。 「あなたが、12、3歳の頃から、私はあなただけを見つめ続けてきたのです」 球の中では、諸見が中学生からずっと最近までと、育つ様子が見えた。 「私は、あなたが当麻を継ぎたくないと思っていたことを、ずっと前から知っていたのです。12代さえ知らなかったことをね」 諸見は柊に視線を戻した。柊は諸見に口を挟む隙を与えないまま、喋り続けていた。 「諸見さん、そして、あなたが邑楽永覚さんと親交があったこともね」 え、と諸見は顔色を変えた。すべてのことを、柊は知っているのではないだろうか。すると、二人の子供のことも……と諸見は背筋を寒くした。柊は、諸見の血筋をすべて処分すると言った。だが、石蕗の腹の中の心配はしているが、すでに子供がいるということは言っていない。それが、知ってて黙っているのか、それとも本当に子供のことは知らないのか、諸見には柊の心が読めなかった。 「12代には何も話していませんよ。私はあなたを恨んでいる以上に、12代を憎んでいますからね。当麻はもう終わりですから、私はかしずく必要はありません。でも、あなたに対する依頼は果たしますよ。きっと、私の《当麻》としての最期の仕事ですから。最期の当麻傍系としての仕事ですから。私にはまだ、子供がいませんからね。つい、この間母子共に亡くなりました。多分、子供は生まれたくなかったのでしょう。つける名前まで決めていたんですけどね。槐(かい)と言います。10年前に、13歳の時に、私が殺した弟の名前でした」 諸見はギョッと柊を見た。その顔を訝しげに見て、やがて柊は納得顔になった。 「ああ、そうでした。あなたに話していたと思ったのは、この中のあなたにでしたね」 と柊は右手の上の球を見た。 「私はよく、あなたと話をしましたよ。きっと、私は誰よりもあなたのことを知っています。あなたが次に吐く言葉さえも」 柊はそう言って微笑んだ。 「《当麻》は、それを継ぐ時に、肉親をすべて抹殺します。そして、始めて《当麻》と呼ばれるのです。そして、当麻からの依頼を受け、《当麻》は仕事をするのです。私は、《当麻》になるまでは、柊(しゅう)と呼ばれていました。そして、《当麻》を継いだ時から、柊(ひいらぎ)と呼ばれることになったのです。とはいえ、その名を呼んでくれる人はいませんけどね」 柊はゆっくりと右手を握り、それにつれて半透明の球は消えていった。 「私はずっと、柊(しゅう)と呼ばれ続けたかったのですよ」 柊のその優しい微笑みに、諸見はますますその中の哀しみを感じていた。 「当麻になろうとしない諸見さん、私はあなたに似ているのかもしれません。確かにあなたは、当麻には向いていないのです。12代や香散見さんのように、それが当たり前と考えることが出来ないのでしょう。私はだからこそ、あなたが13代を継ぐことを楽しみに思っていたのです。判りますか。私も《当麻》には向いていなかったのです。諸見さん、あなたには《力》がありました。三人の子供たちの中で一番に。だから、12代はあなたを後継者と定めたのです。だが、あなたはそれを重荷に感じました。あなたは、当麻になるには優し過ぎるからです。12代だけがそれに気づきませんでした」 「柊(ひいらぎ)、お前はそれを知っていたのか」 諸見はただ、柊の言葉を驚きを持ってでしか聞けなかった。 「言ったでしょう。私は、あなたのことを、何でも知っているのですよ」 「何でも? では」 と諸見が言いかけるのを遮るように、柊が言葉を発した。 「諸見さん、口は災いの元と言いますからね」 柊はにっこりと笑いながらそう言った。諸見はそれにどんな意味が含まれているのか、と考えてしまった。 「私は三人の子供のうちでは、《力》が一番ではありませんでした。弟の槐にその《力》が備わっていたのです。だから、《当麻》は本当なら、槐が継いでいたでしょう。私は柊のまま、もうすでにこの世界にはいないはずなのです。それなのに、私は《当麻》を継いでしまいました。そうなのですよ、諸見さん、私も《当麻》を継ぎたくはなかったのです」 「でも、お前は継いでいる」 「ええ」 と柊は哀しげに頷いた。 「私は《当麻》を継いでしまいました。そして、代々の《当麻》と同じように、当麻の依頼を果たしてきました。今いる私は柊(しゅう)ではない。私は柊(ひいらぎ)なのです。柊(しゅう)は、《当麻》には向いていませんでした。私には特別な人がいましたからね。《当麻》はそれが誰であれ、その手を引くことをしてはならないのです。そう、たとえ当麻自身に自分を殺してくれと頼まれたら、《当麻》は承諾しなければなりません。特別な人はいないのです。ですが、柊にはその人がいました。それは、弟の槐だったのです」 諸見には、柊の表情が哀しげでそして、切なげに見えた。いつしか、諸見の手の中の白い輝きが消えていた。諸見はそれに気づいていなかった。柊は自分たちを殺しにきたのだが、その告白めいた言葉に、これは彼自身の遺言ではないかと、諸見は思った。 「柊にとって槐は、特別な人でした。槐に対してだけは、《当麻》ではあり得なかったのです。他のことに関しては、柊は《当麻》であったのに……」 「では、お前は柊(しゅう)なのか、柊(ひいらぎ)なのか」 諸見の問いに、柊は甘いマスクを曇らせた。 「諸見さん、あなたは意地悪ですね。私はそこまで底意地が悪くはありませんよ」 諸見は柊の言葉に、何となく柊の素顔を見たような気がした。 「諸見さん、私は何て女々しい男なのでしょうね。あなたと私が共有出来た時間は、あまりにも短いのです。それを、私はいつまでも延ばそうとしている。私は本当に《当麻》としては生きられなかったのですね。やはり、私が《当麻》を継いだ時から、そして、あなたが13代を継がないと決めた時から、すべては終わっていたのでしょう。それを確実にするためだけに、私たちはここにいるのですね」 諸見はその手の中の白い輝きを再び起こさせた。もうすぐ、柊のこの告白も終わるのだろう。それが自分の最期でもあるのだ、と諸見は確信した。 (鳶尾、菖蒲、私はお前たちにすべてを託してしまう。それをお前たちは恨むだろうか、それとも、私たちを誇りに思ってくれるだろうか。私はただ、一人の人間として、石蕗とともにお前たちとともに、生きていきたかっただけなのに、当麻の血を引いているというだけで、それが出来なくなった。せめて、お前たちだけでも、その枷を課さずに生きていって欲しいと、私は願っている。お前たちに当麻の血が流れていることは事実なのだが、それを気にしないで生きていって欲しい。柊はお前たちのことに気づいていないようだ。だから父も気づかないだろう。私たちの仇など討とうと思わずに、二人とも幸せになって欲しい。私の願いを叶えてくれると、私はお前たちを信じている。私が不甲斐ない父親で、本当にすまない。だが、それをお前たちに直接謝ることがもはや出来ない。鳶尾、私がお前に本当に出来ることは、私の記憶を継がすことだけだ。お前がそれを受け止めざるを得ないことを、私は知っているし、いや、拒否出来ないことをかな。それに気づいても、お前は私を恨まずにいてくれるだろうか) 諸見は、柊を前にしてそんなことを思っていた。 「諸見さん、私はそれでも幸せでしたよ。私は、あなたが私の当麻であると考えられるだけで、《当麻》として生きたと思うことにしましょう。《当麻》は、当麻が消滅すると共に消えます。まだ、12代が生きていますから、あなたを殺しても当麻傍系が消滅することはないでしょうが、しかし、きっとそれはそんなに遠い未来のことではないでしょう。諸見さん、私はすべてを知っています。それを12代に言わないのは、私が12代を恨んでいるからなのですよ。私は《当麻》として生きることには何の不服もありませんが、ただ、それを壊そうとするものは許せません。それが12代であり、12代を恨んでいるからこそ、私は12代にすべてを、は、話していないのです。諸見さん、私に子供がいたら、その子にすべてを託したほうがいいと思いますか。それとも、何も受け継がせないほうがいいのか」 そこまで言って、柊はクスリと笑った。 「そんなことは、考えるまでもありませんね。当麻も《当麻》も子供がいれば、生まれた時にすでに因子は含まれており、親が死んだと同時に、その記憶を受け継ぐのですから。それは拒否出来ないことであるし、受け継がさまいとすることは出来ないのですから。そうなのですよ、諸見さん、私たちはそういう宿命の元に生きているのです。私も、あなたも。そして、私たちの子供も」 諸見は確信していた。やはり、柊はすべてを知っているのだ。自分に子供がいることも。そして、柊は鳶尾たちに粃を殺させようとしているのだと。 「柊、お前は……」 柊はその甘いマスクを綻ばせた。 「諸見さん、私はそれを楽しみにしているのですよ。この世ではきっとその朗報を聞けないでしょうが、それでも、いつか私の耳にも入ってくるでしょう。当麻として、《当麻》として、行き着く果てはきっと一緒でしょうからね」 諸見は柊を見つめて、見つめてそして、微笑んだ。 「柊、いや、柊(しゅう)。私の《当麻》に、私も会えたことを嬉しく思う。きっと、私たちがここで会うことは、ずっと前から決まっていたことなのだろう。それでも、私はその運命を、私の人生の最期にお前に会えたことが嬉しい」 柊(ひいらぎ)の表情が一瞬泣き顔になるかと、諸見は思った。それは、諸見の思い違いであったのかもしれない。かもしれない、と書いたのは、すでにそれを諸見が判断出来る状態ではなかったからだ。それは、一瞬であった。すでに機は熟していた。諸見にしても、あるいは、柊にしても、相手がいつ撃ってきてもおかしくはないと判っていた。そして、それが今だったのだ。話が途中で終わったとは言えないのだ。柊の言う通り、柊と諸見の出会いの時間は、ほんの短い一瞬であったのだ。他のものにはそうとしか見えなかっただろう。二人がそれを望んだから、二人は一瞬の時間を延ばすことが出来た。 柊と諸見と、互いの手のひらから放たれた白い光は、二人の間でぶつかり、そして、諸見たちのほうに押された。そして三人を、三人だけを消滅させて光は消えた。柊は諸見が消滅したと同時に、家の中に一箇所だけあった、不透明な場所の結界が解けたことに気づいた。そして次の瞬間に、柊は目の前に子供が出現したのにも驚かなかった。 「さあ、当麻13代よ、当麻と当麻傍系が始まってから初めて、顔を合わせましたね。そして、初めて《当麻》が当麻に負けるのです。その時に、あなたは私の意志を受け止めるでしょう。己自身ではそうと知らずに。そして、きっとそれを叶えてくれることを、私は確信しています」 彼の《力》は巨大であった。それを感じながら、柊は消えつつある体と思考とで、 「諸見さん、やはりあなたの子供なのですね。子供がいない私には、羨ましく思っていました。しかし今は、私に子供がいなくて良かったと思います。《当麻》は消滅して当然なのです。そして、それは当麻自身にも言えるのです。諸見さん、あなたの子供は、きっとそれを叶えてくれるでしょう」 と思った。 雪景色の中に、ポツンと黒い影があった。子供が二人、いや、幼子と乳飲み子であった。最初から何もないところにいたような、そんな風景であった。黒い影はじっと動かなかった。いつまでも動かなかった。雪がすべてを白に覆い尽くそうとしているかのように、また降り始めた。
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