◇◇
その日、その姿は雪の中にあった。一面雪景色の中に、その姿はスーツ姿のまま立っていた。東京のサラリーマンがふいに雪の中に現れたような、そんな風に見えた。
「やっと、会えるのですね」
嬉しそうな口調で、彼は言った。
彼、そう柊(ひいらぎ)はついに諸見を見つけたのだ。当麻からの依頼を受けて、ちょうど1年が過ぎようとしていた。1年という時が、12代粃を焦らすためには長かったが、柊がわざとそうしたことは疑い得ない。柊には判っているのだ。一番憎むべき相手が、粃であることを。だが柊には、《当麻》として生きることしか出来ない。粃が自分自身の殺しを依頼する以外には。粃をただ憎むことしか出来ないのだ。
「やっと、私の当麻に会えるのですね」
柊の視線の先に、一軒の家があった。回りを見渡しても、他には家は一軒もなかった。その家の前で二人の男が車の側にいた。一人は見知らぬ男だったが、もう一人を見間違えることなどなかった。諸見であった。確かに直接には二人は出会っていない。だが柊にとっては、忘れることの出来ない顔なのであった。
「そうですね。もうひと方は諸見さんのお友達なのでしょうか。それならば殺すのは可哀相ですね。あの方が帰られるまで待ちましょうか」
柊はそこで身動ぎもせずに立っていた。柊の台詞が、はたして彼の本心かどうかは判らない。本心だとすると、柊は諸見に会えることで、かなり感情が高ぶっているのかもしれない。
柊がジッと見つめている諸見の家の前では、やがて、二人の男は家の中に入り、すぐに、一人の男が荷物を抱えて出てきた。男は車に乗り込むと立ち去っていった。
「さて、行きましょうか」
柊は楽しげに呟いた。ゆっくりとゆっくりと、諸見の家に近づいた。本当にゆっくりと楽しみをいかにも後にずらそうとしているかのように。柊は数十メートルのところまで来て、ふと立ち止まった。そして目を閉じる。
「台所に二人の女性? まだ、お友達の方がいたのでしょうか。どうしましょうか」
と柊は考える。でも、それが本当に考えているのかどうかは判らない。
「おや、一つだけ透視出来ない場所がありますね。諸見さんが見えない、ということは、そこに諸見さんがいるのでしょうか」
柊は口を閉じると、目を開いた。
「さて、どうしましょう」
柊は笑いとともに、そう口にした。そして、クスリと笑う。
「諸見さん、本当に私は今、楽しいのですよ。あなたがすぐ側にいると思うと。もしかすると、もう私の存在に気づいているかも知れませんね。あなたはもう、当麻にはなれません。そして、《当麻》も私の代で終わりです。それを今から決定的なものにするのです。この私の手で。哀しくはありません。私は《当麻》ですから。当麻からの依頼をはたすことが、私の仕事なのですから。諸見さん、その時に私はあなたに会えることが嬉しいと思います。あなたは、私の当麻ですから。それが名のみでも、私にとってはね。諸見さん、私は、あなたとどれくらいの時間を共有出来るのでしょうか……」
柊の甘いマスクがますます甘くなる。これほどに優しげな微笑みを浮かべながら、しかし、彼は《当麻》であった。普通の人間ではない。10年前に肉親すべてを殺した時から、柊は《当麻》として生きていた。
「諸見さん、少しでも長く、あなたと共通の時間を持ちたいと、私は思っています。出来るかぎり、私はあなたを見つめていたいのです。この気持ちをあなたは判ってくださるでしょうか」
柊は台所にゆっくりと近づいた。そして、中に向かって右手の手のひらを向けた。
「北国では、このほうが《力》を使わずにすみそうですね」
台所の二人は、柊によって一瞬にして氷漬けになった。柊はフッと諸見の気配に気づいた。
「やはり、結界の中におられたのですね。そして、私はあなたに会えるのです」
柊が壁に右手を当てる。ぽっかりと穴が開いて、柊はゆっくりと中に入っていった。
柊の目の前には氷漬けにされた二人の女性と(もうすでに諸見によってその状態から脱してはいたが)、そして、諸見。その姿を目に映しながら、柊は完璧なまでの礼をもって、諸見に挨拶をした。
「初めまして、諸見さん。私は当麻家の傍系、当麻柊と申します」
柊の言葉に諸見は訝しげな顔をした。それを見つめて、柊はにっこりと微笑んだ。
「ああ、そうでしたね。あなたは完全には当麻を継がれていないのでした」
諸見はさらに訝しげな表情を深めた。
「諸見さん、当麻傍系は、ようするにあなた方当麻のための実戦部隊なのですよ。当麻のためだけに、手を汚し続ける、当麻の影です」
「そして、私を殺しにきたのか」
柊はわくわくとした気持ちで、胸が一杯であった。
(本物の諸見さんなのですね。私は、私の当麻に会っているのですね)
柊の楽しそうな表情とは、正反対に、諸見は青ざめていた。
「諸見さん、私はあなたに会える日を心から待っていました。1年もかかりましたよ。12代当麻には、せっつかれましたらね」
それは大したことではない、というような口調で柊は言う。諸見は右手に力を込めた。その手のひらがだんだんと白く輝きはじめる。
「やれやれ、諸見さん、あなたは死に急ごうとしているのですね。何故ですか。私はあなたとこうして、同じ時間を共有出来る日を夢にまで見て、そして、こうして叶いました。それなのに、あなたはその時間を切り裂こうとしているのですか。私の願いをことごとく、あなたは叶わすまいとするのですか。私は哀しいです」
柊の表情は、本当に哀しそうなものになっていた。
「私が?」
諸見は理由が判らずに、柊を見つめた。だが、その間も力を溜め続けた。
「諸見さん、私には勝てませんよ。確かにあなたは12代よりも《力》が強い。ですが、私にはおよびません。私たち《当麻》は、当麻の影になりながら、そして、当麻のためだけにこの手を汚し続けたのです。あなた方当麻が、今日の地位を続けてこれたのは、私たち《当麻》のお陰なのですよ。あなたには、興味ないのでしょうけどね。あなたが最大限の《力》を出しても、私には勝てません。そしてそれ以上に、あなたは今、最大限の《力》を出すことが出来ないでしょう。何のためにお二人を氷漬けにしたと思うのです」
諸見は、柊の言葉に顔色を変えたが、その作業を止めようとはしなかった。
「柊、二人は関係ないだろう。私だけに用があるのだろう」
クスリと柊は笑った。
「諸見さん、私は《当麻》です。お二人はすでに、私の存在を知ってしまいました。お友達の方は、巻き込まれたということで可哀相ですが、もうひと方は、あなたの奥様でしょう。つまり、私はあなたの血を引いている者をすべて、処分しなければなりません。家の中には、お子様の姿が見えないようですが、奥様は妊娠されているかもしれませんからね。それにあなたといることが、罪なのです」
「罪?」
諸見がキッと柊を睨んだ。柊が哀しそうに首を振った。
「あなたは、当麻を継がなければならなかった人なのです。私は、あなたが13代を継ぐからこそ、《当麻》として生きているのですよ。私にとっての当麻は、あなたなのです。それなのに、私は己の手であなたを始末しなければならないのですね。哀しいですよ、諸見さん。私は、私の当麻とともに、この世界で生きていこうとしました。ですが、その夢を壊さなければならないとは。残念です、当麻がほとんど意味を持たなくなると思うと」
「柊……」
諸見は柊を見つめ続けた。この始めてみる《当麻》、確かに諸見は当麻傍系の存在を知らなかった。だから、柊のことなど何も知らない。だが、諸見はその優しそうな笑顔と甘いマスク、それを見ながら、柊の心の中の哀しみを見たような気がした。
(私の当麻?)
柊の言葉を頭の中で繰り返す。自分は当麻を継ぎたくなくて当麻家を出ていった。だが、柊は諸見が継ぐからこそ、《当麻》として生きていると言っている。この二つの共通点はあるのだろうか、と諸見は思った。
「諸見さん、私は《当麻》であるから、決して表には出られません。当麻が存在しなければ、私はこの世に存在する意味がないのです。12代は確かに《力》があり、そして、当麻として適当だと思います。しかし、すでに年を取り過ぎています。芳宜さんは、当麻をとても継げるような方ではありません。香散見(かざみ)さんならばましとは思いますが、12代はそれを考えてはいないでしょう。何故なら、寒河家にこだわっているからです。まあ、12代の思いも判らないでもないのですが。だから、13代は諸見さん、あなたが継がなければならなかったのです。本当に私は辛いのです。当麻が12代でほとんど意味を持たなくなると思うと」
「それならば、何故、当麻を倒して表にでない。当麻よりも《力》があるのならば、それはたやすいことだろう。お前は当麻のためだけに手を汚し続けることもしなくてもすむし、この世界を牛耳れることが出来るというのに」
諸見の言葉に、柊は目を見張った。
「ああ、そうですね。そのような手があったのですね」
柊はそのことに始めて気づいた、というような口調で言った。そして微笑んで、
「そう出来るといいでしょうね。当麻と当麻傍系とを逆にすることも、なかなかいい考えかもしれません」
と言った。だが、すぐに言葉を続けた。
「当麻2代武生は、そして、《当麻》初代武生は、本当に当麻だけを恒久のものにしようとしたのですよ。自分が初代なのに関わらず、彼は《当麻》のことをただの殺し屋としか考えていなかったのです。当麻が消滅すると、当麻傍系も消滅します。その反対は知りませんが……。私たちは、そういう宿命の元で生き続けてきたのですよ。諸見さん、当麻のためだけにね。それでも、私は幸せでした。少なくとも1年前までは。そう、あなたが当麻家を出ていくまでは」
柊は無意識のうちにか、左耳のピアスをもてあそんでいた。赤い色が時折、キラリと光る。
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