「諸見さんが出ていきましたか。そうですか」 柊は一人、呟いていた。檀は隣の寝室で寝ている。真夜中の薄暗い中で、フロアライトを一つつけただけの自分の部屋に柊はいた。 その電話がかかってきたのは、昨日の、いや一昨日のことであった。かけてきた相手は、当麻12代、粃。この時、50歳。そして、諸見とは22歳の粃の長男であり、当麻13代を継ぐことになっている人であった。粃には、諸見のほかに、芳宜7歳と香散見(かざみ)4歳という子供もあった。諸見の《力》は柊には劣るとはいえ、粃よりも強く、芳宜はほとんど《力》などなく、そして、香散見は粃には少し劣るけれども、《力》といえるほどのものは持っていた。 この頃には、柊は葵がというより、菁が当麻家に入ることが目的だったのだと確信していた。そしてそれから何が起こるのか、柊には判っていたけれども、認めたくなかった。己が菁の手のひらの上で踊っていることを……。そして何故かは判らなかったけれども、菁の目的が当麻家への復讐であることを。 おそらく、彼女の目的が達せられた後のことを、自分は見ることが出来ないだろう。それも柊には判っていた。これから起こることを、彼女たち以外では、柊だけが知っていたのだ。そう、不思議なことに、彼だけが知り得たのだ。 《当麻》であることで菁に出会い、彼女の手のひらの上に乗っていると認識してからも、柊はそこから下りようとはしなかった。柊にとって、菁は何者だったのか。それを柊が考えることをしないほどに、一度の出会いは、柊が菁のことを没却することを拒絶し続けた。菁がそれを望んだからか、柊が無意識の内にそれを望んでいたからなのか……それとも、その両方なのか。 菁が生きていたとしても、柊との間に愛情が芽生えることはなかったはずだ。そして、菁が死んだことによって、それも成し得ることはない。だが、互いには気づかず、そして、自分自身の心の奥にしまわれた相手の面影を自分ではそうと気づかず、少し未来に彼らの近しい人によって、それを見つけられたのだ。 柊は菁の面影の上に諸見を上書きした。 粃は当麻と寒河の因子を組み合わせようとしていたため、そして、寒河家には葵という娘しかいなかったため、諸見しか13代を継げないのだ。 そして、柊もそうなることが適当だと思っていた。そうでなければ、自分が《当麻》を継いだ意味がないのだ。柊は諸見が13代だからこそ、(もちろん、他の原因もあるが)《当麻》を継いだのだ。そして、当麻のためだけに、その手を汚し続けているのだ。いや、12代のためではなく、諸見が13代を継ぐ日のために……。 「私は、己の手で己の首を絞めなければならないのですね」 と柊はクスクスと笑った。 「哀しいですね、諸見さん。あなたのせいで、当麻はもう終わりです。そして、当麻傍系もそのとばっちりを受けるのです。それをあなたは知らない。私たちのことなど何も知らないのです。あなたが生きてさえいれば、12代が死んだ時に、13代を継げるのですが、12代はそれを考えていませんね。本当に呆れます。12代の馬鹿さ加減には。当麻は、もう長くはないでしょう。諸見さんに見捨てられたということは……。そして、我が家も」 柊の表情は、優しげな微笑みを浮かべたままであった。 「諸見さん、私はあなたの影になることを、夢にまで見ていましたのに。12代とでなく、あなたと話をしたいと思っていたのですよ。それなのに、あなたは、その私の希望を奪ってしまいました」 柊は椅子に深く腰掛けていた。そして、両手を胸の前で合わせた。すると、その間に白い光の球が現れる。やがてその球は半透明になり、その中に一人の人影が現れた。 「ねえ、諸見さん」 その球の中に現れたのは諸見であった。それは確かに諸見ではあるが、今現在彼がいるところが判るわけではなかった。ただ、柊の記憶の中にある諸見を、そこに映しているだけであった。 柊がその球から手を離すと、それはそこでふわふわと浮かんだままであった。球の中の諸見は、少し微笑みを浮かべたまま椅子に座っていた。黒髪に、僅かに鳶色がかった瞳、香色のスーツの上下を着て胸の前で腕を組んでいた。柊はそれを見つめながら、軽く指先で球をつついた。球の中の諸見は、確かにただの映像のはずなのに、柊の行動に干渉されていた。揺れて、思わず椅子からずり落ちそうになり、諸見は慌てて肘掛けを掴んでいた。そう、それは確かにただの映像である。ただ、柊が面白半分にそれを動かしているだけであった。揺れがおさまって、諸見はまた腕を組んだ。 「話が出来るようにプログラムしてもよかったですね」 柊はそう言って右手の人指し指を、球の中の諸見に向けた。そして、クスリと笑う。 「諸見さん、居心地はいかがですか」 球の中の諸見が、柊に視線を向けた。 「あなたは誰ですか。どうして私の名前を知っているのですか」 柊は優しい微笑みを浮かべて、 「私は柊といいます。諸見さんとは、遠い親戚にあたる、とでも言っておきましょうか。嘘ではありませんよ。私も名字は当麻といいますからね。何代前からの繋がりかは、数えなければ判りませんが」 と言って、また軽く球の表面をつついた。 「ちょ、ちょっとすみませんが……。え、と、柊さん、揺らさないでもらえますか。酔ってしまいそうです」 諸見が椅子からまたずり落ちそうになって、そう言った。 「ああ、すみません。あなたとこうして話せることが、本当に嬉しくて、つい悪ふざけをしてしまいました」 柊は嬉しそうに笑いながら、諸見と同じように腕を組んだ。 「柊さん、あなたも当麻という名字だと言いましたね。それは、当麻と関係があるのですか」 諸見は揺れがおさまると、落ち着いた様子で柊を見つめた。 「私たちは、あなた方当麻の傍系ですよ」 柊は左耳のピアスをもてあそびながら言った。 「当麻傍系?」 「あなたは、当麻13代を継ぐ人です。でも、まだ継いではいません。だから、私たち、いえ、私のことを知らないのです。当麻傍系は、当麻のために何代もその手を汚し続けてきました。それは、当麻2代の武生から始まったのです」 諸見が訝しげに柊を見つめた。 「2代? そんなに昔のことを……」 柊は諸見をジッと見つめた。 「もう、400年近く経つのですね」 諸見も柊をジッと見つめていた。 「私たちの代々の《当麻》が、当麻のために手を汚し始めて……」 柊が軽くウェーブしている髪を掻き上げた。 「諸見さん、お話ししてあげますよ。当麻傍系が何故始まったかということを」 そう言って、柊は椅子に深く腰を掛け直して、足を組んだ。 「すべては、当麻2代武生から始まったのです。今の当麻家の土台を作り上げたのは、この武生ということは、諸見さんも知っているのではありませんか。でも、当麻傍系も武生の手によって作り上げられたとは知らなかったでしょう。それより前に、当麻傍系が存在するということさえ知らなかったはずです。私たちの存在は、当麻を継いだ時に始めて認識出来るのですから。あなたは12代に少しだけその記憶を譲り受けましたが、完全に当麻にならなければ、私たちの存在に気づかないのです。武生は、当麻傍系の祖なのです。息子に3代を譲ったあと、武生は当麻の影の存在になりました。そして、3代さえも知らないうちに、新たに子供を作り、その子供に当麻傍系としての道を継がせたのです。そして、それは代々受け継がれていき、その宿命も受け継がれていき、今、私がそれを受け継いでいるのです。当麻傍系は、今は私一人です。私たちは決して増えることはありません。何故なら《当麻》を継ぐ時に、両親と兄弟姉妹を殺すのですから。私も、9年前に両親と姉と弟を殺しましたから。16歳の時に、私は《当麻》を継ぎました。そして、柊から柊に名を変えました」 柊は微笑みながらそう言った。諸見は柊を見つめ続けた。 「《当麻》を継ぐ時に、私たちは名を変えます。別にそれが決まりではありませんが、代々それが受け継がれていき、他のことと合わせて、私たちは受け継いでいるのです」 柊は胸の前で指を絡めた。 「私たち代々の《当麻》は、代々の当麻から依頼された仕事を片づけ、そして《当麻》を継ぐ時に、己の肉親を片づけるのです。私たちは当麻傍系として生まれた時から、その時が来たら、お互いに殺すか、殺されるかの運命を背負っているのです。それを当麻のためだけに受け継がせてきたのです。諸見さん、私はあなたに当麻を継いで欲しいのです。あなたが13代を継ぐはずだからこそ、私は《当麻》を継げたのです。本当なら私は決して、《当麻》を継がなかったはずなのですから。あなたがいたからこそ、継ぐことが出来たのです。いえ、今まで《当麻》として生きていくことが出来たのです。それなのに、あなたは当麻を捨ててしまいました。私の希望を奪ってしまったのは、諸見さん、あなたです。そして、あなたを殺さなければならないのは、私なのです。私は《当麻》なのですから。私は、私の希望を己の手で潰さなければならないのです。哀しいですね。私は《当麻》として生きていかなければならないのですけれど、それなのにと言うべきか、それだからこそと言うべきか、あなたを殺さなければなりません。諸見さん、当麻はもう終わりですね。12代はあなたを始末して欲しいと私に依頼しました。私はそれを」 柊はいきなり口を濁した。諸見は一言も口を挟めずに、柊を見つめ続けていた。 「諸見さん、私はあなたを恨んでいるのですよ」 柊は虚しげに諸見から目を逸らした。柊には判っていた。この諸見は実像ではないのだ。己の作り上げた、ただの映像でしかない。二人は喋っているが、諸見の言葉は、柊が諸見の性格から想像した言葉にすぎない。その虚しさを柊は判っていながら、諸見に喋り続けた。 「もしかすると、当麻はあなたを失くしても続くかもしれません。でも、それはただ名のみです。《当麻》の存在する意味が、もはやないのです。あなたを私が始末した時点で」 「柊さん、では、私にもう関わらないでください。私は当麻のことなど、決して外には漏らしません。私はただ、当麻諸見として生きていきたいだけなのですから。あなたが私を始末しないかぎり、父が死んだら、私が当麻13代を継ぐことになるのでしょう。それは不本意ですが、そうなることはあなたの希望ではありませんか。柊さん、あなたが私を始末しないかぎり、あなたは私に13代を継がすことが出来るのですよ」 諸見の言葉に柊はクスリと笑った。 「そうですね、そうしたいですね。でも、私は《当麻》なのです。9年前に肉親を殺した時点で、私は《当麻》を継ぎ、当麻には絶対に逆らえないのです。当麻が始末して欲しいと言えば、それが誰であろうと、自分の首を絞めるのであろうと、それをやらなければならないのですよ。当麻から《当麻》を始末しろと言われたら、私は自分を殺すのです。それが、私たち《当麻》に課せられた宿命なのです。それで私たちが消滅するとしても、それが判っていたとしても、私はそれをするのです。当麻のためにならなくてもね」 柊はそっと球を両手で挟んだ。 「諸見さん、私はあなたが13代として、私を認識してくれる日を待ち焦がれていたのです。それはもはや虚しい夢となりましたけど。諸見さん、じかにお会いするときっと、これほどに長い時間を共有出来はしないでしょう。だから、こうしてお話し出来ることが本当に私は嬉しいのです。きっと、あなたもそうであると思います。諸見さん、早くお会いしたいですね」 柊は球の中に手を入れると、諸見をそっと掴んだ。諸見は抵抗しなかった。ただの映像に戻ったのだ。柊は掴んだと見せているだけであった。 「諸見さん、私は早く見つけたいと思いますよ。当麻の意味がなくなるのを、早くしたいわけではないのですが、あなたに早く会ってみたいのですよ」 柊は右手で諸見をギュッと握り潰した。諸見の姿は消え去るように見えなくなった。 「ねえ、諸見さん、私の希望を奪った罪は重いですからね。それを私の手でさせるということも、あなたの罪です。私はあなたをきっと許さないでしょう」 柊はフッと手を緩めてまた胸の前で指を絡めた。 「12代を始末するのは、その後です」 柊はそう言って、にっこりと笑った。 「当麻の存在価値がなくなると、《当麻》が当麻に逆らっても別に構わないでしょうからね。《当麻》は当麻にはなれませんけど、当麻にかしずく必要はなくなります。当麻も《当麻》も私たちの代で終わりなのですね。哀しいですけれど、やはりこれは決まっていたことなのでしょう。私が《当麻》を継いだ時点で、いえ、当麻が始まった時点で……。諸見さん、最期にあなたに会える日を楽しみにしていますよ。槐以外に興味を持ったあなたに会えることを。それまでせいぜい、12代を焦らせてあげましょう。私の希望を奪おうとする、張本人なのですから」 柊は前髪を掻き上げて、またクスリと笑った。
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