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 その男と始めて話をしたのは、柊(ひいらぎ)が《当麻》を継いだその日であった。電話の音に、柊はそれが誰からかかってきたのか、判っていた。当麻12代、もうすでにその名になって、その男は半世紀を過ごそうとしていた。つまりはその男は、《当麻》を三人も相手にしているのだ。その三人目が、柊であった。
 受話器を取り上げて、柊は耳に当てた。
「早速だが、始末を頼みたい」
 相手は口を開くなりそう言った。当麻と《当麻》との間には、季節の移り変わりとか、近況などというものは必要なかった。ただ、用件のみ。名も互いに名乗らず、当麻はその依頼の理由を喋らず、《当麻》もその疑問は持たなかった。
「判りました。どなたですか」
 《当麻》が代替わりしようとも、当麻には関わりのないことだった。当麻は《当麻》に仕事を滞りなく済ませてもらえればよく、そして《当麻》の聞くべきことは、ただこの質問だけであった。それに当麻が答えると、電話は切られるのだ。
 《当麻》と当麻の接点は、ここにしかない。決して互いの顔を知ることはなく、ただ、当麻からの電話を《当麻》が受けるだけであった。《当麻》から電話をかけることさえない。それは、その必要がないからだ。《当麻》と当麻は、この電話での短い会話だけを代々続けてきたのだ(もちろん、電話のない時代は、そのかぎりではないが)。
 そして、今回も当麻は相手の名を言うと、一方的に電話を切った。柊はそっと受話器を置いた。
「あの人が12代当麻ですか」
 柊はフッと笑った。
「初仕事は簡単そうですね。子供を殺るのはあまり気が進みませんが、まあ、当麻からの依頼を無下には出来ませんね。それに、最初から当麻に逆らうなど、代々の《当麻》に申し訳ないですからね。《当麻》として、きっちりと仕事はさせてもらいましょう」
 柊はそう言って優しげに微笑んだ。それを見ている人はもう誰もいないのに。その微笑みをずっと見て欲しかった人は、もういないのに。そのことが柊の頭に浮かんだかどうかは判らない。ただ、柊はもう一人なのだ。《当麻》として生きていくことを決めてから。当麻傍系としても、《当麻》としても。
 柊は16歳にしかすぎない少年であるが、彼はただの16歳の少年としてはもう生きられない。
「私は《当麻》ですから」
 柊は呟いた。それは自分に言い聞かせるかのように……。
 そして、柊は次の日に依頼を果たした。相手はまだ10歳にもならない子供であったが、依頼を拒否することはしなかった。《当麻》にとって、当麻からの依頼は、相手が子供だろうが老人であろうが、仕事として請け負ったからには、決してその手を引っ込めることはしなかった。当麻からの電話を受けた、ということは、すでに仕事として請け負っているということなのだ。電話のベルが鳴ってから、受話器を取り上げるまでに、それを決めるのだ。取り上げないかぎり、その仕事を請け負ったことにはならない。そういうことを代々の《当麻》たちがしたかどうかは判らない。だがとにかく、受話器を取り上げた時点で、《当麻》と当麻との繋がりが出来るのだ。
「いたぶるのは私の好みではありませんからね。それに血を流すことも……。だから、一瞬で逝かせてあげますよ。苦しませずにね」
 柊の前には、年端のいかない子供がいた。男の子だが、愛くるしい女の子のようであった。先程まで男の子は、母親と一緒にいたのだが、その目を盗んで一人になっていた。
 柊は手に持っていた風船を、男の子に差し出した。優しげな微笑みを浮かべる柊を男の子は疑いもせずに見つめた。そして、その風船を受け取る。次の瞬間、風船はふわふわと空に舞い上がった。柊はくるりと背を向けた。男の子の母親とすれ違う。母親はキョロキョロと男の子を捜し回っていたが、もう見つけることが出来ないであろう。何故ならば、男の子はすでにこの地上にはいないからだ。柊の差し出した風船に吸い込まれるようにして入った男の子は、それから出ることが出来ずに、でも柊が苦しませたくないという希望を持っていたので苦しみを持つことなく、しかし、決してもうこの地上に戻ることが出来ない世界に行ってしまったのだ。
 こうして柊の《当麻》としての最初の仕事は無事終わった。
 柊にとっては、男の子の素性など関係なかった。ただ、当麻からの依頼を果たしただけであった。男の子は、つまりは当麻のためにならない、という人であったのだ、と《当麻》としては考えるだけであった。そして、それでよかったのだ。《当麻》にとっても、柊にとっても。それが当麻にとっての、《当麻》の存在価値なのだから……。当麻家2代武生が、《当麻》初代になった時から、当麻の影として《当麻》は存在し続け、その手を汚し続けてきたのだ。
 ただ、当麻だけのために……。そして、柊はただ一人の人のために《当麻》を継いだのだ。この時は、ただそれだけの理由であった。


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