そしてその日、楓は泣きじゃくっていた。菁が死んだ日である。
 当麻傍系の三人の子供たちは、自分の部屋に一人でいて、それぞれに全く異なる感情に翻弄されていた。僅かに似ていると言えるのは、楓と柊が、菁の死を哀しんだ、ということであろう。その度合いは較べられないぐらいの違いがあるとしても。
「まだ、私たち子供なのに、菁さん、なのに、もうお別れを言わなければならないなんて……。いいえ、お別れなどしてませんわ。あなたの最期の言葉が、『また、明日』なんて、私はいつまでも、あなたと明日に会えることを、待ち続けなければならないのですわ」
 楓は涙に濡れた顔を上げた。
「私が、せめて、生きている間は、普通の女の子として、生きようとしていたのに、かくも運命とは、意地悪なのでしょうか。私はどうしても、《当麻》の血を引いていることを、忘れてはならないのでしょうか。それは、私にとって苦痛でしかありません」
 そう、楓は槐の言った通り、普通の女の子として生きようとしていたのだ。だから、菁を友人として扱った。それが、菁がそう望んだからということには気づかない。楓は菁と出会って、彼女を気に入って、たった半年のことだったが、楓は菁と仲が良くなった。そして、それが楓にとって幸せだったのだ。
 確かに楓自身にも《当麻》の血は流れていた。それを否定することは出来ないのだ。そして、自分が《当麻》を継げないこともはっきりしていた。遠い未来か、それとも明日のことか、三人の内の誰かが父親を殺す時、自分の一生も終わるのだ。それをするのが、楓は槐(かい)だと判っていた。自分には《力》がほとんどなく、だから、決して自分ではないことは判っていた。そして柊と槐とを較べると、槐のほうが《力》があることも判っていた。すると、必然的に槐が次代の《当麻》を継ぐことになるのだろう。そう、楓は思っていた。
 父親からその話を聞いた時、誰も何も言わなかった。柊は全くそのことに関して何も言わなかったし、それは槐も同じなのだが、楓は姉として、柊が槐を次代の《当麻》として認めていることが判っていた。だから何も言わなかったのだ。それを楓は判っていた。
 槐が次代の《当麻》を継ぐのだ。それが、いつのことになるのかは、本人にしか判らない。だから、楓はその時がいつ来てもいいように、きっと短いであろう一生を普通の女の子として生きようと思っていたのだ。だがそれは、菁の死によって儚く消え去った。また友人を作ればよいと思うだろうが、楓にとって菁の死は、あまりにも強烈であった。それほどに楓にとっては、菁は得難い人であったのだ。友人としてかけがえのない人であったのだ。
 小学生の時にそんな馬鹿なと思う人もいるだろうが、はたして人生の経験の短さが、そのような人に出会えないことに繋がるだろうか。それは決して造言ではない。
 楓は、その後は決して誰も家に呼ばなかったし、自分では友人と呼べるような人を作らなかった。菁の死は、楓が《当麻》の血を引いているから、その自分に出会ってしまったから、と考えたのだ。

 楓は18年間生きた。そして、その最期の時にホッと肩の荷を下ろしたのだ。楓にとって、18年は長い長い一生であった。
 楓は柊が《当麻》を継ごうとしていることに驚きはしたが、しかし、それを追求しようとは思わなかった。自分の人生を終わらせようとするのが、誰でも良かったのだ。そう、それが柊でも、槐でも。あるいは、他の誰でも。
 楓はその時に幸せであった。やっと、菁の元に行けると思ったからだ。それは間違いであったのだが、それを楓が知る術はなかった。そして、楓もそれを聞きたくはなかっただろう。
 楓は人生の最期に幸せだったのだ。それで人生を終えたのだ。それだけで楓は救われたと言えるのだ。


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