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寒河菁は、楓(ふう)を寒河家に招待しなかった。そして、柊(しゅう)も菁に料理の腕を見せることが出来なかった。
菁は、当麻家に来たその数日後に事故死した。いつもは車が迎えにくるのだが、その日は、菁がそれを拒んで歩いて帰っていた。そこに、暴走車が突っ込んできたのだ。菁は即死、その他に何人かの軽傷者が出た。運転手のわき見運転として処理されたが、彼は、いきなりハンドルやブレーキが勝手に動きだしたと主張し続けた。酒気帯びではなく、しらふだったが、その内容によって、精神鑑定が必要ということになったことも付け加えておこう。
ともかく、菁は死んだ。その最期を見届けた人はいなかったが、もし、それを見ていたとしたら、菁が微笑んでいたことに驚いただろう。暴走車が突っ込んでくるところに菁は立ち止まっていた。そして、それに向かって微笑んだのだ。
「あなたにすべてを託しますわ。ただ一つ残念なことは、もう、あの人に会えないことですね。でも私は波豆として、すべてを伝えなければなりません。私の妹か、弟か、それは判りませんが、受け取ってください。そして、波豆を思い出してください。あなたの宿命ですわ。私の宿命は、きっとあの人に会うことだったのでしょう。それが意味を持たないわけはありません。私は波豆として生きているのですから。きっと、私が生まれてきた意味は、あなたには判るでしょうね。それをあなたにお聞きすることを、楽しみに待っていますわ。代々の波豆と共に。さようなら、柊さん。普通の女の子として、あなたも当麻家の人ではなく、お会いしたかったですわ」
菁は両手を拡げて、まるで暴走車を迎え入れているようであった。頭の上で結ばれた髪が、ウサギの耳のように、長く垂れていた。褐色のリボンが風に舞う。舞う。
そして、寒河菁はこの世から消えた。
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