◇◇
《当麻》を継いだのは、柊であった。父や姉の予想を裏切って、というのが正しい。
そして柊が継ぎたくなかった、ということに気づかなかったのも、真実。真実をいつも、柊は隠し続けた。それが柊の長所であり短所であった。
「兄さん」
柊の側には、いつもその声の主がいた。
「柊兄さん」
彼にそう呼ばれることが、柊は好きであった。何を話すわけでもない。ただ、彼が側にいて、時折自分を見上げてくれさえすれば、柊は他に何も望まなかった。
「槐(かい)」
そう言って、柊は槐の前髪を掻き上げた。3歳年下の弟は、兄を見つめて瞬きもしなかった。冷たい眼差し……槐のその表情を見た人は、おそらくみなが、そう言うだろう。柊もそう思った。ただ違うのは、柊が槐のその表情を、一番気に入っていることであった。
「柊兄さん、僕は」
と槐は言葉を止めた。柊は、なおも槐の髪をもてあそびながら、槐の次の言葉を待った。
「夢を見るんです。決まって、同じ夢を。いつも同じ少女が現れるんです。そして何も言わずに、ただ微笑んでいるんです。あれは僕には、悪魔のような微笑みに見えます」
「夢?」
槐の表情は、全く変わらない。おびえているのでも、怖がっているのでもなかった。何も感じてはいないようであった。
「それが何故なのかは判りません。ただ彼女には、近い未来にきっと、会うことになるのではないかと、僕は思うのです」
「槐、それはきっと、その少女に将来恋をするんだよ」
二人とも幼いとはいえ、いくらか年上の柊が、そう言って笑った。
「柊兄さん」
槐の瞳は、冷たく光っていた。
「父さんは隠しごとが下手です。少なくとも、僕にはね。だから僕は僅かですが、当麻家のことを知っているのですよ。あなたや、楓姉さんの知らないことを。別に、僕は知りたくはなかったのですが、その時期が少し早かっただけのことです。父さんは、間もなくその話をするでしょうから。母さん以外に」
いつの間にか、柊の指先は凍りついたように、止まっていた。
「柊兄さん」
槐が、柊の目の前で止まっている指先を、そっと握った。ハッと柊が見動ぎをする。
「きっと、僕は《当麻》にならなければならないでしょう。あなたが、僕の代わりにそうしてくれると言わない限り。それはきっと、あなたにとっては、信じられないことなのでしょうね」
柊はただ、槐の言葉を聞き続けていた。何のことを言っているのか、この時の柊には判らなかった。そしてその近い将来に、父親からその話を聞いた時に、そうと気づいたのであった。
「槐……」
槐は兄の頬を小さな手でそっと挟むと、自分の顔を近づけ、軽く唇を合わせた。
「兄さん、僕を愛していますか」
その言葉に柊は頷いた。槐はもう一度、柊と唇を合わせた。
「柊兄さん、僕の夢にでてくる少女に、きっと将来出会うでしょう。だけどそれが僕になのか、あなたになのか、判らないのですよ」
槐はそう言って、柊の側からつい、と離れた。
「槐」
それはどういう意味なのだろう。それを、聞こうとして柊は聞けなかった。3歳も年下の、弟だった。だが柊にとって、同年か、あるいは、年上のように、いつも感じていた。それが気に入らないのではなく、柊はそれで幸せであった。
彼らの父親が、当麻家と当麻傍系との関係についての話をするのは、間もなくであった。
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