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 その日は秋の到来を思わせるような涼しさであった。そしてその日は、ごく一部の人々にとって、生涯忘れえぬ日になったのであった。
 邑楽家の当主、祥吾は、アメリカに帰る予定をまた変更せざるを得なくなった。御母衣家の冬野の告別式のためであった。
「南部、美原さんを呼んできてくれ」
 喪服を持ってきた執事の南部に、祥吾はそう言って女物の喪服も用意するように付け加えた。南部は首を傾げると、
「美原さんを連れていかれるのですか」
 と不審そうに言った。祥吾は頷くと、急ぐように南部を急かした。
 間もなく、南部が真裕美を連れて戻ってきた。祥吾は南部に下がるように手を振った。
「美原さん」
 と祥吾は喪服を差し出した。
「旦那様、私は」
 真裕美の言葉を祥吾は遮った。
「美原さん、君のお母様はもう亡くなられたんだ。死者に対してまでも君は我を張ろうとするのかい。君の気持ちも判るけどね。でも今はその気持ちを抑えなさい。行かないと君は一生後悔することになるよ」
 祥吾の言葉に、真裕美は俯いて考え込んだ。その手に、南部が持ってきた喪服を渡した。
「着替えておいで。僕と一緒に行こう」
 真裕美は無言で出ていった。それと入れ代わりに、南部が入ってくる。
「祥吾様、いったいどういうわけです」
 祥吾は笑って着替えを始めた。
「お前には黙っていてもしかたないけど、美原さんはお祖母様の娘なんだよ。僕も先日知ったばかりだけどね」
 南部は表面上は変化させなかった。
「お前は知らなかったのか」
 祥吾の言葉に、ハッと気づいたように南部は首を振った。
「存じませんでした」
「そうか」
 と祥吾は言ったまま、それ以上は何も言わなかった。南部は白髪頭を僅かに振った。着替えを終えた祥吾は部屋から出かけて、
「南部、美原さんは彼女が望む限り、邑楽家の使用人だよ。僕の大叔母様ではなく」
 と言って頷いてみせた。南部は、
「はい、判っております」
 とそれに答えた。
 やがて、祥吾は真裕美とともに御母衣家に出掛けた。


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