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 綾歌は諸見と会っていた。
「綾歌、夢見とは本来未来見のことですね。では、私のことも見えるのでしょう」
 諸見の表情がいつになく真剣であった。綾歌はそれを見えぬ目で感じた。
 綾歌は、この若者が好きであった。粃が諸見を綾歌の元に伴ってきたのは、2年前のことであった。それ以前に、彼の夢の中には時々現れてはいたが。それ以後、粃はいつも諸見を連れてきたし、諸見だけで綾歌に会いにくることも多かった。
 ある意味で、もっとも当麻家の者らしくない、この当麻13代候補の若者を、綾歌は、初めて会った時から気に入っていた。諸見自身は望んでいないのだが、粃を越えるほどの《力》を持って生まれたことを、不憫にも思っていた。
「諸見殿、どうされたのじゃ」
 綾歌は、そっと諸見の頭に手を置いた。
「あなたに、未来見の《力》があるのなら、私の言いたいことも判るのではありませんか」
 諸見は、綾歌の手の温もりに包まれながら真剣な表情をしていた。綾歌はそっと首を振った。
「それは違うのじゃよ、諸見殿。わしにすべてが見えると思うのは間違いじゃ。夢見にも《力》が強いもの、弱いものがあるし、わしにとっては、諸見殿のように気に入っている者のことは、見えにくいものなのじゃ」
「綾歌……」
「だから、話してもらわぬと、わしには諸見殿の悩みが判らぬな」
 諸見は綾歌をジッと見つめた。
「綾歌、あなたは、私が当麻を継がない、と言いだしたらどうします」
 綾歌は、諸見の頭の上に置いてあった手を思わず引っ込めた。
「そうすることは、私は父を裏切ることになるのでしょうね。私は父を嫌っているわけではありません。私にとって、父親にはかわりないのですから……。例えどんな人間であっても……。しかし、私は父のようにはなれない。私は当麻にはなれません」
 綾歌は無言で諸見の次の言葉を待った。何を言うべきか、今出すべき言葉が見つからなかったためだ。
「綾歌、このことを告白したら、父の耳に入るのでしょうか。あなたは父には絶対服従なのでしょう。それでも、私はあなたには喋ってしまうのです。私はあなたが好きですから……」
「諸見殿……」
 諸見はフッと一つ溜め息を落とした。
「私が当麻を継げないのは、邑楽永覚さんを気に入っているからです。19代邑楽の永覚さんの名を教えてくれたのは、あなたでしたが、まさか私が永覚さんと親交を深めたとは思わなかったでしょう。永覚さんは、私と似ているのかもしれません。私が確執を止めたい、と言ったことに対して、同感してくれましたから。ですが、私は未だ、当麻を継いでいませんし、父は、それを認めようとはしないでしょう」
 諸見が胸の前で指を組んだ。
「私が当麻を継いだとしても、父がいる限り邑楽家との確執はなくならないでしょう。父は当麻としてしか、生きられないでしょうから……。綾歌、そう言えば、聞いておきたかったのです。邑楽家との確執とは、いったい何だったのです。永覚さんはその記憶は、邑楽には受け継がれていない、と言っていました」
 諸見の言葉に、綾歌がえっと声を上げた。
「邑楽の記憶に、それがないというのか……。では、どちらも、その記憶だけを受け継がせはしなかったのじゃな」
 今度は諸見のほうが驚いて目を見張った。
「どちらも、ということは、当麻もその記憶を受け継いでいない、ということですか。では、いままでの両家の確執には、どんな意味があるのでしょう。何故、確執だけを受け継がせているのでしょうか」
 二人はしばらく黙っていた。二人ともその理由を考えていたのだ。
「判らぬ……な。ただ、もしかすると、第三者の介入があったのかもしれぬな」
 やがて、綾歌がポツリと呟いた。
「第三者?」
「それが誰かなどということも、わしらには知る術はないぞ。すべてを知っているのは、その第三者だけであろう。生きておればな」
 諸見は綾歌の言葉を頭の中で繰り返した。そして、ためらいがちに口を開いた。
「もしかすると、それは、夢見といえるほどの《力》を持つ者は、今では邑楽家以外の者ではあり得ない、ということが、全てを指しているのではありませんか」
 綾歌はギョッと諸見を見た。
「すみません。あなたを驚かすつもりはなかったのです。ただ、あなたが当麻家の夢見として、ここにいることが、私にはずっと不思議だったのです。当麻家には、決して夢見は生まれないのですから……。そうでしょう。別に父に聞いたわけではありませんが、これは真実でしょう」
 綾歌はホウッと溜め息を落とした。
「諸見殿、確かにその通りじゃが、しかし、わしは、生まれた時から当麻家の夢見なのじゃよ」
 そう言う綾歌を諸見は見つめ続けた。
「フフフ、わしらは、その第三者によって操られているのかもしれぬな。宿命という名によって……」
「綾歌、もうそろそろ父が戻ってくる頃でしょう。父には、あなたに会っていたことを知られたくないのです。特に今日は。綾歌、私には許嫁がいます。彼女は生まれた時から、私の元に嫁ぐことが決まっている人です。私は彼女を嫌っているわけではありません。だが、彼女がそれを拒否してくれることを、私は願っていました。しかし、彼女はそれをするような人ではありませんでした。まだ幼い彼女について、こんなにはっきり言うのはおかしいでしょうけど、私はそれを確信しているのです。綾歌、それはあなたにも判るのではありませんか。それに彼女は私を……いや、不確定の思いを口にしてはいけませんね。私が、当麻を継げない、もう一つの理由は、私が彼女と結婚出来ないからです。何故なら、私にはすでにこの人、と決めた人があり、そして、その人には、私の子供が宿っているからです」
 綾歌は、呆然とした表情で諸見を見つめていた。諸見はその顔を見返している。
「私は、私の家族を守りたいのです。綾歌、あなたは父にこの話をしますか」
 諸見は静かな表情で綾歌を見つめていた。だが、綾歌には判っていた。諸見がここに来たのは、それこそ勇気を振り絞るほどのことだったのだ。そして、綾歌の返答次第で、諸見はすべてを巻き込んで、自分の家族を守るのだろう。そのことを綾歌は判っていた。
「諸見殿、わしは、お主が気に入っておるぞ。その当麻らしからぬ当麻をな」
 綾歌の言葉に、諸見は複雑な表情を浮かべた。
「それは……」
「安心するがよい。わしは、お主の意志を尊重しよう」
 綾歌はそう言って、ドアのほうを指さした。諸見はそれ以上何も言わず、ドアのほうに歩いていった。
 それは諸見が18歳の時。今から24年前のことであった。


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