「香散見」
 玄関のドアを閉めた時、香散見は兄の声に階上を見上げた。
「御母衣家の冬野様を無事に帰したのだな」
 香散見は芳宜の言葉に艶やかな笑いで応えた。芳宜がギョッとした顔で妹を見る。
「お兄様、何を驚いていらっしゃるのです。御母衣家の冬野様は、当麻家に何をしにいらしたと思うのですか。それが実行されなかったとしても、冬野様の罪は消せません。私にも慈悲があります。御母衣家の冬野様は、苦しまずに旅立ったでしょう」
 芳宜は香散見を見つめたまま言葉を失っていた。
「それよりも、お兄様。あの方をもう一度連れてきていただきましょうか」
 芳宜は自分が階上にいるにも関わらず、香散見に見下げられていることを知っていた。
「今日は、御母衣家の冬野様という予想外の駒のせいでお話が出来ませんでしたから」
 香散見はそう言って芳宜の前から姿を消した。
 芳宜が溜め息とともに肩を落とした。ただそれが苦痛だけではないことの意味は、芳宜にとっても、堂士にもう一度会えるのが楽しみであるということであった。


←戻る続く→