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「そういえば、昨夜見せていただいた写真はすべて風景でしたが、野村さんは、風景専門なのですか」 ふと思いついたように、諸見が康裕に聞いた。 「そうですね。雪の写真が多いですね。この辺りに来たのは初めてなのですが、この先の湖のようなところがあるなんて、やはり北海道は広いですね」 康裕は笑いながら言った。その横で朱美が石蕗に笑いかけた。堂士は大人たちの会話を黙って聞いていた。 「お世話になったお礼に、ご家族の写真をお撮りしましょうか。インスタントカメラも持っていますから」 諸見が僅かに顔色を変えたのに気づいたのは、石蕗であった。しかし、諸見はすぐに元の表情に戻った。 「では、お願いしましょうか。家族揃っての写真がありませんから」 そう言って、諸見は石蕗に頷いてみせた。石蕗は立ち上がると、隣の部屋に寝かせてある菖蒲を抱いてきた。 「起こすとぐずるかもしれませんから、このままで静かに撮っていただけますか」 石蕗が菖蒲を抱いて、その隣に諸見が立つ。堂士は二人の前に立った。 パシャという音がして、フラッシュがたかれた。堂士は目に残った残像に、目をパチパチしていた。 「野村さん、お二人も入って撮りましょう。セルフタイマーがついているのでしょう」 康裕は頷いて、タイマーをセットした。堂士は二人に挟まれるようにして写真に写った。 と、突然菖蒲が泣きだした。 「あらあら」 と石蕗はぐずる菖蒲を隣部屋に連れていった。堂士もついていく。 「お母さん、僕が菖蒲を見てるよ」 堂士の声が隣から響いてくる。やがて、石蕗だけが戻ってきた。 「可愛い子ですね」 朱美が出来上がった写真を見ながら言った。石蕗が写真を覗き込んだ。 「私もこんな子を生みたいわ」 石蕗が写真から朱美に視線を移した。 「朱美さん、やっぱり、あなた妊娠していらっしゃるの」 石蕗が男たちの驚きを横目に言った。 「ええ」 と朱美が少し赤くなった。 「朱美」 康裕の驚きが本物であるとすると、朱美は康裕にも黙っていたらしい。 「何故、言わなかったんだ」 「だって、もしかすると間違いかもしれないもの」 それを聞いて康裕は何も言えなかった。結婚して5年経つが、全くその兆しさえなかった。朱美が妊娠しにくいと診断されてからは、二人は半ば諦めていたのだった。何か言わなければと思いつつも、言葉が見つからなかった康裕は、隣部屋から聞こえてきた堂士の子守歌に救われた。 「さあさ、あなたたちは車の修理に取り掛かってくださいね」 石蕗が諸見を促すように言った。 「さて、我々は追い出されたことにしましょうか」 笑いながら諸見は、康裕とともに車の修理に向かった。 写真は、食卓の上の一輪挿しにたてかけてあった。幸せそうに笑う家族の写真であった。それを石蕗はもう一度見つめて、食卓を片づけ始めた。 平和ないつもと変わらぬ冬の一日が始まっていたはずであった。だが、昨日と同じ日が来ることはない。そして、今日と同じ日も二度と来ない。そして、それは起こった。 車の修理は程なく終わり、康裕は、東京へ帰る前にもう一度湖の写真を撮りにいくと出掛けた。堂士が行きたい、と言うのを両親が懸命になだめて、ともかくも康裕だけはその悲劇からは逃れたのだ。 石蕗は朱美に手伝ってもらって昼食の用意をしていた。諸見は堂士が菖蒲の側で寝ている横で本を広げた。ときおり、堂士の寝顔に目がいくということは、読書に身が入っていないようだ。 台所から聞こえてくる石蕗たちの声を聞きながら、諸見の表情が緊張に変わったのは、朝と昼との間というところか。 「来た」 諸見は呟いた。そして、堂士を起こす。 「鳶尾」 と言って息子が起きたことを確認すると、諸見は堂士の頭の上に右手を置いた。 「鳶尾、菖蒲を頼むぞ。今は、私はお前に何も言ってやれないが、私はお前にすべてを受け継いでもらおうと思っている。私が守らなければならない約束までも。それはそう遠いことではない。これは、どう解釈しても父親のエゴでしかないが、お前にはすべてを与えた後で、自分自身で決めてもらいたいんだ。まだ幼いお前にすべてを押しつけなければならない、不甲斐ない父親を許してくれ。鳶尾、お前にはそれを受け止められるだけの《力》があると信じているよ。きっとお前は私を恨んでしまうだろう。でもこの道しか選べなかった私を、いつか許してくれることを願っているよ」 諸見の4歳の息子は、父親の言葉を黙って聞いていた。やがて、諸見の言葉が途切れると、 「お父さん」 と口を開いた。堂士の表情は無機質なそれであった。 「お父さん、僕たちは別れるの。そうなんだね。もう会えないんだね」 「ああ、そうだよ」 諸見は堂士の頭を撫でながら言った。堂士はまっすぐに父親を見つめた。 「でも、忘れてはいけないよ。私たちはいつも側にいるから。お前たちの側にいるから」 堂士は頷いた。 後になって堂士は、自分はすでにこの時に両親の死を予知していたのではないか、と思った。それなのにあれほど淡々と見送った自分を、複雑な思いで思い返すのだ。それが当麻家の血を継いでいたためなのか、と己の冷たさを忌まわしくさえ思った。それは、何年も経ってのことであって、さしあたってこの時には関係ない。堂士はもう両親に会えないことが当たり前だと判っていたのだ、たぶん。 「何があっても、この部屋からは出てはいけないよ。すべてが終わるまでは……」 諸見は、部屋を出る前にそう言って、堂士と菖蒲を一瞥すると背を向けた。菖蒲は眠ったまま、堂士は無言でその背を見つめた。
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