康裕の運転する車に堂士は乗った。
「野村さん、あなたとこんなところで出会うなんて思いもしませんでした」
 堂士は助手席に座って康裕のほうを向いた。堂士が唯一会いたくなかったのが、康裕であったのだが。その理由は……。
「お久しぶり、というべきかな、堂士君」
 外したサングラスをまた掛けて康裕は言った。
「そう……ですね」
 堂士は顔に少し翳を落として呟いた。
 意外なところで堂士と康裕は繋がっているのだ。このことは、康裕を一度は師と仰いだ房史も知らず、ましてその房史から名前を聞いただけの祥吾が知っているはずはない。
「野村さん、何故、当麻家に……。まさか、19年前のことを」
 と、堂士は口を噤んだ。
 堂士の脳裏に19年前の光景が浮かぶ。忘れようと思ったことはない。でも、思い出したいと思ったこともない。
 19年前の情景……それは、堂士の両親とそして、巻き添えによって亡くなった康裕の妻、朱美の死。堂士はその光景を脳裏から払いながら、康裕もそれを思い浮かべているのだろうか、とふと思った。
「堂士君、私は一瞬たりとも妻のことを忘れたことはないんだよ」
 前を向いたまま康裕が再び口を開いた。
「君の想像する通りかもしれない。私は、19年前のことを清算してもらいたいんだ。誰に、かがずっと判らなかった。君に聞けば本当のことを知っているだろうけど、きっと何も教えてはくれない……それは正しかったと言えるだろう?」
 堂士は、
「ええ」
 と小さく呟いた。
「でも、野村さん」
 と続けた堂士の言葉を康裕は無視した。
「私が氷の世界の写真を撮り続けたのは、君が北海道にいたせいなんだよ、堂士君。19年前のことで、手掛かりと言えば君しかなかったからね」
 堂士は康裕の横顔を見つめた。
「ええ、知っていました。野村さんが私たちを見つめていることは」
「そうか、知っていたのか」
 車はまだ森の中を走っていた。
「堂士君、君は、当麻堂士と名乗っているが、その当麻は、《たいま》と読むんだろ。君は当麻家の血を引いているわけだね」
 堂士は片頬に自嘲めいた色を浮かべて、
「ええ」
 と答えた。
「野村さん、あなたはよく当麻家を突き止めましたね。呆れます」
 堂士の言葉に、康裕が堂士をチラッと見て笑った。
「19年前に殺された私の父は、本来ならば当麻13代を継いでいたでしょう。それを拒み、そして、祖父の手の者によって殺されたのです。その巻き添えにあなたの奥様が亡くなられたのです。つまりは私の父があなたの奥様を殺したも同然です。ですから、当麻家を恨むのではなく、私を恨んでください。生き残ったのは私なのですから」
 康裕が驚いたようにちょっと堂士のほうを向いて、また前方に視線を戻した。
「まさかあなたが当麻家を見つけることが出来るとは思ってもみませんでした。もしその可能性に気づいていたら、この前会った時に警告をしたでしょうに……。いや、もう一度お会いしてあなたの記憶を完全に封じてしまったでしょう。あの時は私の《力》が弱くて、あなたの封印を仮にしか出来ませんでした。だから、思い出してしまったのですね。でも、私はそれを軽く考えていました。まさか、あなたがそれ以上のことをするとは思いませんでしたので。だから、あなたが北海道まで来て、私たちを見つめていることさえも気にしなかったのです。当麻家のことを調べていてよくご無事でいたと思います」
 堂士はそう言って溜め息を一つついた。
「君は私に、当麻家の代わりに君を恨めと言っているのかい。それはいったい、どういう理由だい」
 しばらく後に、康裕が口を開いた。
「当麻家の者に、もう血を流させたくないのです。それを拒むならば私が止めようと思っています」
「君は当麻家を恨んではいないのか。君は両親を殺されたじゃないか」
 康裕が車を道路脇に止めた。森はすでに抜けていた。だが、回りは畑ばかりの風景であった。
「恨む? そうですね」
 と、堂士は一旦口を噤んだ。
「確かに恨むべき相手ではあります。でも、私は恨みたくはありませんでした。私は当麻家から無視されることで、そして、菖蒲との生活の中に幸せを見出していたのです。おかしいでしょうか、私は。両親を殺されたのに……。でも、今までのささやかな生活が、私にとって一番の幸せだったのです」
 堂士は、康裕の視線をまともに受けて少し笑った。だがすぐにその顔からスッと笑いを消すと、
「ですが、私たちに危害を加えることには我慢できません。それが、誰であろうと……」
 と続けて言った。
「そして、当麻家の毒牙にかかる人を見捨てることも出来ません。野村さん、特にあなたには、生きていていただきたいのです。私の両親やあなたの奥様の代わりでもあるのですから」
 康裕がサングラスを外して、ポケットの中にしまった。
「代わりならば君でもいいんだよ、堂士君。そうではないか」
「いいえ」
 堂士は哀しげに首を振った。
「いいえ、私では駄目なのです。当麻家の血を引いている私では……」
「それは、何故?」
 堂士は康裕をジッと見つめていたが、その目を外に向けた。
「それが表でも裏でも、頂点に君臨し続けるために、いったいどれだけの犠牲を払ってきたのか。その流れた血の上に当麻は立っているのです。当麻家は消滅しなければならないのです。この世から抹殺しなければならないのです。当麻の記憶のある者は、すべて。例外はありません」
「それは、君自身も、ということか」
 堂士が康裕に視線を戻して微笑んだ。
「私が、妹の菖蒲にだけは生きていて欲しくて。彼女は当麻家のことなど何も知りません。私にとって菖蒲は希望そのものです。今のことを予知して、あの時に封印をしたわけではないのに」
「堂士君」
「確かに私は、祖父を恨んではいなかったのです。祖父がしなければならなかったのは、ずっとそのまま私たちに気づかないことだったのです。それなのに私たちを東京へ呼びました。私たちの正体を知らぬままに、よりにもよって、この東京へ。私が幾度となく避けてきたジグゾーパズルのピースを、勝手に嵌められてしまったのですよ。《当麻家消滅》という題名のついたゲームを始めたのは祖父なのです。そして、このジグゾーパズルのピースは、二度と外すことが出来ないのです。もう、嵌め続けるしか……それがどんな結末であろうと……」
 堂士の顔には、嘲りが浮かぶ。それは祖父に対してなのか、それとも、それを言っている自分に対してなのか。
「堂士君。君の言いたいことは判る気がするよ」
 康裕の視線も外に向けられた。
 まだ外は、残暑の厳しい日差しがムッとする空気とともに射していた。だが、車の中はエアコンの効き過ぎか、肌寒いくらいだった。康裕の左手がエアコンのつまみを弱のほうに回す。
「でも、私は19年前のことを忘れはしない。それが何者であろうと、私は仇を取りたいんだよ」
「野村さん」
 堂士の目が康裕に向けられる。
「忘れようはずはないんだ。君には話していなかったが、あの時亡くしたのは朱美だけではない。朱美のお腹の中には子供もいたんだ。結婚して5年目にやっと出来た子供だった。あの日、再び写真を撮りながら、名前を考えていた。そして、紫苑にしよう、と思いついた。それは朱美が好きな花だったからね」
 堂士の顔に苦しみが浮かぶ。
「私は、あの時のことを、絶対に忘れることは出来ない。君に記憶を消されたとしても、きっと何度でも思い出しただろう」


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