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堂士はノックの音で現実に戻された。カチャッとドアが開いて、まず香散見が入ってきた。その後ろに粃が続く。堂士はすぐにそれが誰か判った。
「改めていらっしゃいませ。私は当麻香散見、父の当麻粃です」
堂士の前に立って、香散見が言った。
「当麻堂士です」
堂士は座ったままそう言った。本名は言わなかった。まだ迷っているのだ。
二人が堂士の前に座った。
「それで、当麻家の夢見という方のご招待に応じてやってきましたが」
堂士が口火を切った。
堂士は出来れば何もないままがよかった。両親を殺されたことを恨んでいないと言えば嘘だが、出来れば元の平穏な暮らしを続けたかった。そう、菖蒲とともに……。それだけが堂士の希望なのだ。それに、今の堂士には、二人を相手に出来るだけの《力》もなかった。心葉に施した気の放出は、堂士にかなりの疲労を課していた。それを面に出すことはしなかったが。
「綾歌に聞いてはいたが、これほどの美貌とは思わなかったの。なあ、香散見」
粃が堂士を見つめて言った。香散見は、またほうっという表情で堂士を見ていた。
「そういえば男女とも言っておったな。お主、連れがいるであろう。出来れば連れ立って来て欲しかったの」
堂士は無言であった。だが、心の中は苛立ちで煮えくり返っていた。
(誰が、このような場に菖蒲を連れてくるものか……。特にあなたには会わせたくない)
「いったい、お主は当麻家に関係しているのか。お主は誰なんだ」
粃の問いに堂士は表情を変えなかった。
「それは私が問いたいことですね。私がいったい何をすると言うのです。何のために私を呼んだのか、それを説明していただきたいのは私のほうです。私は当麻家の夢見と名乗っている老婆が来て欲しいと言ったから、ここに来たまでのこと。用がなければ帰らせていただきます」
粃は堂士をなおも見つめていた。
「やはり、綾歌を連れてこねばならぬな。香散見」
と粃は香散見のほうを向いた。
「お父様、綾歌は今、御母衣家の冬野様が」
「ああ、そうであったな」
と粃は考え込んだ。チロリと堂士を見る。堂士は無言で粃を見つめていた。
(これが、私の祖父であり、当麻12代の粃……か。そして、直接手は下してはいないけれど、実の息子を殺した父親……)
「しかたない」
粃は呟くと両手を胸の前で合わせた。それに気づいて堂士が立ち上がる。何気なく香散見が立ち上がって、ドアのほうへ歩いた。
「私を閉じ込める気ですか」
堂士は粃の両手の間に出来たものを見つめて言った。粃がホウと堂士を見た。
「これが何かを知っているのか。では、やはり出ていかせるわけにはいかぬな」
粃の両手の間からふわふわと半透明の球体が出てきた。堂士のほうへ近づきながら段々と大きくなる。巨大なシャボン玉であった。入るに易く、出るに難い、粃自慢の牢獄であった。
(全く、こんな時に《力》が使えないとは……)
堂士は口惜しんだ。《力》を使いたいわけではない。だが、ここで粃の思うままに捕まるわけにはいかなかった。捕まったが最後、逃げ出すことは出来ないだろう。
(菖蒲に生き続けてもらうためにも、私はここで死ぬわけにはいかない)
ドアの前には香散見が妖しげな笑いを浮かべて立っていた。香散見の力も相当なものだということが堂士には判った。
堂士の左手がズボンのポケットに動いた、と見る間もなく何かが明かりに向かった。
ガチャン、と蛍光灯の割れる音が響きわたった。粃と香散見は、堂士の行動に一瞬呆気に取られた。まさか、物理的行動に出られるとは思ってもいなかったのだ。あまりにも単純な攻撃に、二人は動けなかった。
堂士が香散見の脇をするりと抜けて、屋敷の外へと向かった。
何故か、粃たちは追って来なかった。
門の横の扉から出る。その前に屋敷のほうを見た時、二階のバルコニーに芳宜の姿を見かけた。芳宜は堂士に気づいて手を上げかけたが、すぐにばつが悪そうに下ろした。
芳宜は応接室で何が起こったのかは知らない。だが何か起こったことだけは判ったのだ。それが何となくではあったにせよ、当麻家と堂士が敵対していることが判った。芳宜にも当麻家の血が流れていることには違いない。
堂士は芳宜に軽く会釈して出ていった。それに芳宜が応えたかどうかは、堂士には判らなかった。
(追いかけてこないな。何かあったのか)
堂士は思ったが、そのことよりも現実的な問題が浮かんだ。
(しまった。ここは、かなり街から離れていたような)
歩くしかなかった。堂士がその考えを現実のものとしようとした時、車が近づいてきた。そして、堂士の横に止まる。助手席の窓ガラスが機械音を立てて開いた。
(誰だ?)
と思う堂士に、
「乗っていかないか。それとも歩いて帰る気かい」
と運転席の男がそう言った。サングラスを外した顔を見て、堂士は、
「あなたは、野村さん」
と言って絶句した。康裕は堂士を手招いて、
「話は車の中だ。乗りなさい。送って行こう」
と促した。堂士が乗ると車はすぐに発車した。
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