香散見は冬野に視線を移した。
「御母衣家の冬野様ですね。何のご用でしょうか」
 香散見がにこやかに笑いながら冬野に近づいた。冬野もにっこりと笑った。
「あなたが香散見さんですか。あなたのお父様にお会いしたいのです。取り次いでいただけます」
 香散見は笑顔を崩さず、
「お約束をしていらっしゃいますか。父は忙しい方ですのでお約束の方以外とはお会い出来ません」
 と言った。
「香散見さん、では、当麻家の夢見の方にお会い出来るかしら」
 香散見がキッと冬野を睨んだ。
「お帰りください、御母衣家の冬野様。あなたは招かざる客なのですよ。あなたは御母衣家の人間のはず。邑楽家の人間でない方が、当麻家に楯突くおつもりなのですか」
 冬野は無言でドアのほうに進んだ。その前に香散見が立ち塞がる。
「私を本気で怒らせたいのですか。あなたには何の《力》もないはず。あなたに出来るのはここから立ち去ることです」
「香散見さん、そこを退いてください。私はあなたには用がございません。私が会いたいのは、当麻粃か、当麻家の夢見と名乗っている老婆かのどちらかです。そして、私は邑楽家の冬野としてここに来たのです」
 香散見が冬野の言葉にフフッと笑った。
「そうですか。邑楽家の者としてここに来られたのですか」
 香散見が高笑いをした。冬野は顔色を変えたが、香散見を無視してドアを開けようとした。
「命は大切になさるものですよ、邑楽家の冬野様。わざわざお捨てになるなど、その気持ち、私には到底理解出来ませんね」
 香散見の両手が胸の前で合わさった。その中に淡いオレンジ色の半透明の球体が現れた。
「冬野様、当麻家に逆らうということが、どのような目に逢うのか考えたことがございますか。そして、歴代の邑楽がどのような目に逢ったのか……」
 香散見はその球体を右手の上に乗せた。
「すぐに判りますわ」
 嬉しそうに香散見が笑う。冬野はぞっとして急いでドアを開けようとしたが、そのドアは開かなかった。
「無駄です」
 香散見の言葉が冬野の背に冷たく突き刺さった。香散見が右手を軽く振った。淡いオレンジ色の球体は、ふわふわと漂いながら冬野に近づいた。香散見の目が本当に嬉しそうに笑っていた。香散見の脳裏には、すでにその後の冬野の苦しむ顔が浮かんでいた。この球体に包まれると、外傷のない綺麗なまま死んでしまう。だが、本人は火に包まれた状態で、苦しみながら焼死するのだ。香散見はなおも嬉しそうに笑っていた。
 その時、香散見の耳の奥で粃の声が響く。
「香散見、御母衣家の冬野を中に入れるがよい。綾歌に会わせてやれ」
「お父様」
 と口に出してハッと気づき、口を噤んだ。何故です、と心の中で問うた。
「《力》を持たぬ者などいつでも始末出来よう。この屋敷からは出られぬのじゃ。それより客人にわしだけで会ってもよいのか」
 その言葉に香散見は唇を噛み締めた。だが粃に逆らうことなど出来ず、まして、客人に会わないなどということを選びたくはなかった。あれほどに食指の動く男性は他にはいまい。香散見は右手をそっと振った。球体がその右手に引き寄せられるように動いて、握り潰されるように消えた。冬野の顔色は全くなかった。
「御母衣家の冬野様、綾歌のところにご案内しましょう」
 香散見は無表情に言った。《御母衣家の》と呼ぶことによって、香散見は楽しみを邪魔された憤りを少しでも抑えようとしたのだ。冬野の顔に驚きが浮かぶ。
「当麻家の夢見に会えるのですね」
「私の気が変わらないうちにご案内します」
 冷たくそう言う香散見の後ろに従って、冬野は当麻家の中に入っていった。


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