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芳宜の車。
「芳宜様」
仕切りが閉まっているため、後部座席の前に取り付けられているスピーカーから、運転手の声が響いた。芳宜は、スピーカー横のボタンを押した。赤いランプが点く。
「どうした」
「あの、先程から一台尾けてきております。ナンバーを確認すると、御母衣家のものでしたが……」
「いつからだ」
少し堂士を気にしながら、芳宜は問うた。堂士はずっと目を閉じたままであった。
「そちらのお客様をお乗せして間もなくです」
「そうか。まあ気にするな」
そう言って芳宜はボタンを押し、赤いランプが消えたことを確認した。芳宜は左に視線を移した。堂士の顔に目がいく。
(何者だろうか)
芳宜は粃から何も聞かされていなかった。それは今に限ったことではなかったが。
諸見が出ていったため、芳宜を13代候補に据えることは据えたが、粃は芳宜に期待してはいなかった。芳宜はただのお飾りにしかすぎないのだ。どんなに努力しても、芳宜には本来あるべき《力》以上のものは持ち得なかった。それをもうすでに諦めている芳宜と粃なのだ。
堂士の目を閉じた顔を芳宜は見つめていた。
(このように美しい人がこの世にいるんだ)
そう思って、ふと香散見が気に入るだろうと苦い顔をした。その表情を消すと、
「当麻さん、間もなく当麻家です」
と言った。芳宜のその言葉に堂士は目を開いた。そして、窓の外に目を遣った。
「ここはもう当麻家の私有地なのですね」
堂士の言葉に芳宜は頷いた。
昼間なのに、うっそうと繁っている森の中は薄暗かった。
やがて、門が現れた。運転手がリモコンで門を開く。少しきしんで門が横に動いた。
芳宜の車に続いて、冬野の車が入る。芳宜は後ろを向いたが何も言わなかった。もう一台は、ずっと手前に止まって門が閉まるのを見ていた。その運転席に座っているのはサングラスをかけた男。それは、野村康裕であった。
堂士は近づく屋敷を見ていた。
(懐かしい……)
そう感じるはずはないのだが、堂士はそう思った。自分の中の諸見の記憶がそう思わせているのだろうか。堂士の脳裏に諸見の姿が浮かんだ。
(お父さん、あなたが逃げだした当麻家に、とうとうやってきましたよ)
諸見は淋しそうに微笑んだ。
(お父さんは望んでいなかったことでしょう。もちろん私も望んではいませんでした。しかし、もう逃げだせないのです。すでに賽は振られたのですから。それが、誰の手によってなのか……。お父さん、私はその人を憐れむかもしれません)
車が止まって、運転手が後部ドアを開けた。堂士は、当麻家の玄関先にその一歩を踏み出した。堂士は上を見上げた。当麻家の屋敷はそびえ立つようなその姿を堂士の目に映していた。
続いて芳宜が下りた時、玄関のドアが音もなく開いた。芳宜の後ろに冬野の車も止まる。冬野はすぐに車から出てきた。そして、客人たちを出迎えたのは香散見であった。
「ようこそ……」
と言いかけて香散見は思わず言葉を失った。そのまま、堂士を見つめて、ほうっと溜め息をついた。たぐいまれな、とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。
「香散見」
咳払いをしながら芳宜が言った。その顔に渋い表情を浮かべている。ハッと気づいて香散見が、
「ようこそいらっしゃいませ。父がお待ちしておりました」
と堂士に頭を下げた。
「お招きいただきありがとうございました」
と堂士は会釈した。
「お兄様、お客様をご案内してください」
香散見が芳宜をチラッと見て言った。芳宜が堂士を促して家の中に入っていった。
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