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邑楽家。
冬野が帰っていってから、祥吾は応接室にそのままいた。ソファに深く座っている。
(今日のお祖母様は何か変だったな)
どこがどう違うということは言えないのだが、何かいつもと違っていた。それが何なのかを考えていて、そこを動かなかったのだ。
どのぐらい経ったのだろうか。コンコン、とドアがノックされた。
「はい」
祥吾の声に、真裕美が顔を覗かせた。
「あの、お掃除を……」
遠慮がちに言う真裕美に、ああ、と祥吾は立ち上がった。自分がずっとここにいたことで、真裕美の仕事の予定を狂わせたことに気づいた。
「悪いな。すぐに出ていこう」
祥吾は真裕美の開けたドアから出ていこうとした。
「あの、旦那様」
と真裕美が引き止めた。
「何」
「私はこのまま邑楽家に勤め続けてよろしいのですね」
真裕美が不安げに祥吾を見た。真裕美が仕事以外のことで、祥吾に話しかけるのはこれが初めてであった。そのことにふと気づいた祥吾だったが、今はそれは関係なかった。祥吾は頷いた。
「もちろんですよ。僕としては、大叔母様を使用人とするのは、判ってしまった以上心苦しいのですが、あなたの家族が誰であれ、あなたが邑楽家に勤めたいのならば僕は大歓迎です。南部に聞いていますよ。あなたがどのように働き者かということをね」
真裕美は頭を下げて、
「ありがとうございます。旦那様、私の家族のことについては気にしないでください」
と声を震わせた。
「僕はあまりこの家に居つきません。これからもほとんど帰ってくることはないでしょう。アメリカでの生活が主だから、この屋敷を売り払うことも考えていたのですが、先祖から受け継いだこの屋敷は、やはり邑楽家の原点でしょう。だから、屋敷はこのままです。そのために、南部やあなたのような人がいてくれると本当に助かります」
祥吾はそう言って微笑んだ。真裕美は、はあ、という顔をしていたが、すぐにその表情を消した。
「あの……」
と真裕美が口籠もった。
「何?」
「御母衣家の大奥様、あの方は死ぬ気ではないのかと」
「えっ」
祥吾は驚いた。
「私に会いに来るなんて初めてです。きっと何かあるんだと思います」
祥吾はうーんと考え込んだ。その顔を真裕美が心配そうに見つめた。
「大丈夫だよ、美原さん」
祥吾がハッとそれに気づいて、真裕美の肩を叩いた。
「心配なんかしないでいいよ。お祖母様はそれほどやわな方じゃない」
祥吾の言葉に、真裕美がハッと顔を強張らせた。
「心配などしません」
そう言うと、真裕美は口を噤んで掃除を始めた。祥吾は真裕美に何か言おうとしたが何も言えないままドアを閉めた。
(お祖母様が死ぬ気?)
自分の部屋に戻りながら、祥吾は思った。
(そんなことはないだろう)
と祥吾は楽観的に考えた。
「祥吾様」
後ろから呼び止められた。
「明後日の切符が取れましたが……」
執事の憮養南部であった。
「明後日か」
祥吾は呟いた。
「判った。それまでに日本での用事をすませよう」
南部が不思議そうに祥吾を見た。
「祥吾様。何か、こちらでお約束がございましたか」
祥吾が笑った。
「南部、僕に日本に知り合いがいないと思うのか」
南部が首を振った。
「いいえ、とんでもございません。そのようなことを申しているわけではございません」
「南部」
祥吾が笑ってくるりと背を向けて歩き去った。南部も反対に歩き出した。
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