そして、粃は綾歌の前にいた。
「ほう、来ると言ったのか、そやつは……」
 粃は楽しげに言った。
「粃殿、もう一人、客人が来るかもしれぬぞ」
 綾歌が低く呟くように言った。
「客人?」
 粃が首を傾げた。綾歌が頷く。
「御母衣家の冬野殿じゃ」
「ほう?」
 粃がチラッと綾歌の表情を窺うように見た。綾歌の表情は変わっていなかった。
「御母衣家の冬野が、ここに来るというのか」
 フフ、と粃が笑った。綾歌は、ずっと固い仮面のままであった。
「ところで、粃殿。先程から扉の前で香散見殿が待っておられるぞ」
「香散見が?」
 粃が不思議そうに言った。
「香散見殿は、お主がわしに会わせぬのを気に入らぬらしいな」
 粃は口をギュッと噤んだ。その顔を綾歌がジッと見つめていた。
「……お主は、諸見殿と香散見殿を重ねておるのか」
 粃は綾歌の言葉に目を閉じた。
「香散見殿は、諸見殿とは違うぞ。お主によく似ておるな。決して諸見殿にはならぬよ」
「判っておる……。それは判っておるつもりじゃ」
 粃を知っている者にすれば、信じられないほどの弱々しい口調で言う。
「粃殿」
 綾歌の表情は変わらない。
「お主は20年近く経っても、未だに諸見殿を許せぬのじゃな。確かにお主にとっては、大変な裏切りであったが……。粃殿、これは夢見としてのわしの言葉ではないが、何故に寒河家にこだわるのじゃ。香散見殿ならば、立派な13代になると思うがな」
 粃は首を振った。
「夢見の通りに……。当麻と寒河が一緒になると……」
 粃はほとんど呟くように言った。
「夢見がすべて現実に起こると、お主は信じておるのか。……面白いものじゃな。夢見のわしが、夢見の一部は真実ではないと思っておるのに……。粃殿、いかな夢見とて、この世界の中の一部分でしかないのじゃよ」
 綾歌の言葉に驚いたように粃が目を見開いた。
「ふっふっふ、これはただの婆の独り言じゃ、粃殿」
 粃は立ち上がって扉のほうに向かった。
「綾歌、わしは決して諸見を許せない……。当麻の影を消されたことをわしはいつまでも根に持つであろう」
 粃は綾歌に背を向けていた。
「だが、わしが、一番許せないのは、己に対してだ」
 そう低く呟いて粃は部屋から出ていった。
「粃殿……」
 綾歌がスタンドに手を当てた。そのまま見動ぎもしない。綾歌は、粃の言った最後の言葉を考えていたのだ。
(いったい粃殿は、何のことを言っていたのか……)
 綾歌はジッと考え込んでいた。


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