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芳宜は目を閉じていた。寒河家から帰る途中、車の中であった。
(もし、寒河家の跡継ぎが葵でなかったら)
芳宜はそんなことを考えていた。
(そうでなかったら……私は、諸見兄さんの二の舞を踏んでいたかもしれないな)
諸見と芳宜は14歳も年が離れていた。そのわりにはよく遊んでもらった思い出がある。しかし、諸見が出ていった時、芳宜にはその理由が判らなかった。あの時は7歳の子供だったから無理もないかもしれない。
(兄さんには好きな人がいたんだ)
真実は聞かなかったが、おそらく自分の考えは合っているはずだった。
(その人と一緒に北に逃げたのだ)
そして、19年前に粃の手の者によって殺されたのだ。その手の者も帰ってこなかった。相討ちであったのであろう。
(子供もいたのかもしれない)
子供がもしいたとしたら、確実に殺されたに違いない。その話を芳宜は父親から何も聞かされてはいなかった。だが、想像は出来た。
芳宜はゾクッと震えた。いまさらながら粃の怖さを思い出したのであった。
(葵で……本当に良かった)
芳宜は心からそう思った。芳宜にとって、もはや葵は伴侶以外の何者でもなかった。
フッと芳宜は目を開けた。回りには副都心の風景が見える。芳宜は運転席との仕切りを開けた。
「寄り道か」
「旦那様よりお言伝てがございました。新宿駅近くで男の方を一人お迎えしろ、と。芳宜様はお聞きになっておられなかったのですか」
運転手が前を向いたまま言った。
「へえ、親父殿がね。それは誰なんだ」
「それは聞いておりません。あちらから気づくはずだとおっしゃいました」
「?」
「ああ、あの方かもしれません」
運転手はそう言って軽く右手を上げた男に近づいた。芳宜の乗った車が左に寄って止まった。そこに立っていたのは堂士であった。
堂士は新宿駅の周辺をぶらぶらしていた。
綾歌は、新宿駅に迎えをやるとしか言わなかった。だが不安はなかった。その車が近づいてきた時、堂士は何気なく右手を上げた。そうすることが、自然に感じたのである。そして、堂士を迎えるのが当然のようにその車は堂士に近づいた。
運転席が開いて、運転手がきびきびとした様子で出てきた。
「お待たせいたしました。中にいらっしゃるのは、当家の若主人でいらっしゃいます、芳宜様です」
運転手は後部ドアを開けてそう言った。堂士は、軽く頭を下げて中に入った。ドアが静かに閉められた。堂士は芳宜を見つめて頭を下げた。運転手は、運転席に戻ると車を発進させた。
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