土師家。
 堂士は心葉とまた二人きりになった。
「伯母様、菖蒲のことよろしくお願いします。私に万一のことがあれば伯母様だけが頼りです」
 堂士の言葉に心葉は顔を曇らせた。
「堂士さん、万一とは縁起でもないことを……。そのようなことが起こると言うのですか」
 堂士が哀しげに笑った。
「判りません。私が東京に来たのはある人に呼ばれたからです。その人に今日会うつもりです。そしてどうなるか、私には判りません。菖蒲にも関係したことですけど、菖蒲だけは何も知らないままに生き続けて欲しいのです。本当なら菖蒲を置いてきたかったのですが、敢えて菖蒲を連れてきたのは、伯母様にお願いしたかったからです」
 心葉の瞳が少し揺らめいた。
「菖蒲さんには何も知らせずに行ってしまうのですか。菖蒲さんの前から姿を消すつもりなのですか」
「菖蒲の前から消えたいわけではありません。ですが私といることで菖蒲が危険な目に逢うかもしれない、それを私は恐れているのです。私は菖蒲には普通の人生を生きて欲しいのです。私にはそれが出来ません。両親の記憶が私を縛っています。私はそれを枷とは思いませんが、菖蒲にはそれを背負わせたくないのです」
 堂士の言葉に心葉は首を振った。
「堂士さん、菖蒲さんはそれを望んでいませんよ。私もお役に立ちたいですけど、菖蒲さんを止めることは出来ないでしょう。あなたが菖蒲さんのことを思っているように、菖蒲さんにとってもあなたがすべてなのです。あなたに万一のことがあれば、菖蒲さんはきっとあなたの後を追うでしょう。それは哀しいことですけどね。堂士さん、あなたはすべてを菖蒲さんに話すべきです。あなたが行ってしまわれるならばなおさらですよ」
 堂士は激しく首を振った。堂士の顔が苦しげに歪む。
「伯母様、それは……。それは私には出来ません。菖蒲に両親のことを話すということは出来ません」
 心葉は堂士の頭にそっと手を当てた。
「堂士さん。では、私がその役目を代わりましょう」
「えっ」
「私が菖蒲さんに話しますわ。ですから、私に話してくださいませんか」
 堂士は心葉をジッと見つめて、そして、首を振った。
「伯母様がそう言って下さるのは、私にとってこれほど嬉しいことはございません。ですが、その申し出にはお応え出来ません。伯母様、ありがとうございます」
 堂士はなおも心葉を見つめて言った。
「でも、堂士さん……」
 心葉が言いかけるのを、堂士は手で制した。
「伯母様、あなたのお気持ちは本当に嬉しいのですが……」
 心葉はゆっくりと首を振った。
「堂士さん、菖蒲さんのためを思うのなら、何も話さないで姿を消すということは、大変な裏切りだと思いますよ。あなたにはそれが判っているはずです」
 堂士は心葉の言葉を黙って聞いていた。そしてしばらくして口を開いた。
「伯母様、判りました。では、私に伯母様の体をお貸しください。菖蒲の封印を解きます」
 堂士の言葉に心葉が首を傾げた。
「私に出来ることならば何でもしますが、それはどういうことなのですか」
「私は菖蒲の封印を解くことに今も反対です。菖蒲の背負っている宿命は、あまりにも重いものですから……。ですが、菖蒲がそれを望み、私もそれを望んだ時、伯母様によって封印を解いていただきます。その時だけ、伯母様の意志を私の意志が封じます。それだけを許していただければ、私は封印を解くことに同意いたします」
 堂士がそう言って心葉の返事を待った。心葉は堂士の側に移動すると堂士の手を握った。
「堂士さん、私は子供たちの味方です。私からお願いしますわ」
 堂士がその返事を聞いて、また哀しげな表情を浮かべた。
 堂士は辛いのだ。自分だけで解決しようと思ってもどうしようもないことがある。それでも堂士は誰にも迷惑をかけたくなかったのだ。特に、母石蕗とそっくりの心葉には。だが、堂士は頷いた。もしもの時に菖蒲を託せるのは、彼女しかいないのだ。
「伯母様、目を閉じてください」
 堂士の言葉に心葉は目を閉じた。

←戻る続く→