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御母衣家。
明彦がいちおう御母衣家を継いでいたが、実質は邑楽家から嫁いだ冬野が取り仕切っていた。
「え、祥吾さんがいらっしゃった?」
冬野は花を活けていた手を止めた。その手の淡いピンクの蘭の花が揺れる。
「ここにお通しして、弥生さん」
「はい、判りました」
行儀見習いの弥生が頷いて静かに立ち去った。冬野は取り散らかした回りを片づけて、床の間に花を飾った。
弥生が祥吾を連れて戻ってきた。
「祥吾さん、よくいらっしゃいましたね。どうぞ、どちらへ」
弥生が一礼して立ち去ると、冬野が祥吾を促した。
「封印が解かれたのですね」
冬野は白髪を綺麗にまとめて黒い髪留めで止めていた。いつも着物を好んだが、今日の装いは鶯茶の袷であった。祥吾は冬野を見つめた。
「夢を見せられたのはお祖母様なのですね」
祥吾の前の冬野は優しげな老婆であった。
「ええ、私ですよ」
冬野は微笑んだ。
「お祖母様……。もし、封印が解かれなかったとしたら」
本当に飛行機を爆破させたのですか、と言いかけて祥吾は口を噤んだ。
「祥吾さん、一つ聞きたいことがございます。あなたの封印を解いたのはどなたです?」
冬野はずっと優しげな微笑みを浮かべていたが、祥吾はゾクッと背を震わせた。
祥吾は一つ深呼吸をした。
「お祖母様は、僕が封印を受けていたことを知っていたのですか」
祥吾の声は硬質であった。
「いいえ、知りませんでした。でも、永覚さんが亡くなってからそうではないかと思っておりました。はっきりしたのは、明彦さんが邑楽家に行った一昨日のことですわね」
祥吾の表情は固いままであった。
「お祖母様は、封印を解くことが出来たのですか」
「さあ、判りません。封印はかけた本人でないと解けないものです。でも、永覚さんがかけたものを、叔母である私に解けるのではないかと思っておりました。私は邑楽家の人間ですからね」
祥吾は冬野から生け花に目を移した。蘭は静かに揺れていた。
「お祖母様、あなたには解けなかったでしょう。何故なら、キーワードをご存知ないからです」
「キーワード?」
冬野は首を傾げた。
「お祖母様。お祖母様はすでに御母衣家の方。あなたは邑楽家の人間ではないのですよ。ですから邑楽家のことに口を出さないでください。邑楽家と御母衣家はお祖母様が嫁がれたという以外の繋がりはないのですから」
祥吾は冬野をジッと見ながら言った。
「父が亡くなる時に、僕に邑楽を継がせなかったのは、延々と繰り返される邑楽家と当麻家の闘争に終止符を打とうとしたのですよ。だから父は何も言わなかった。自分の代で終えようとしたのです。それを今になって何故僕に継がせたのか、お祖母様には言う必要はありませんね」
本当はあなたのせいなんですけど、と心の中で思い祥吾はフウッと溜め息を吐いた。
「お祖母様、いいですね。僕は確かに邑楽家を邑楽の名と共に継ぎました。お祖母様は、それ以上のことを望んでいたのかもしれませんが、僕は、20代邑楽をあなたの望んだ通りに継ぎました。あなたは何も言えないはずです。ですから、これ以上邑楽家につきまとわないでください。それに、父は当麻に殺されたのではありませんよ」
「祥吾さん、それはどういう意味です。誰が」
冬野が言いかけるのを無視して、祥吾は立ち上がった。
「邑楽を継いだのは僕です。あなたは御母衣家に嫁いだ時点で、邑楽家の夢見という名を捨てたはずですよ。なのに何故、今になって邑楽家のことに口を挟むのですか。邑楽家のことは、僕が仕切ります。いいですね。これは《邑楽》としての言葉です」
祥吾はジッと冬野を見つめた。
「お祖母様、それでは失礼します」
そう言って祥吾の出ていく姿を冬野は呆然と見つめていた。
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