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檜香華の家は高円寺の中ではさほど大きくはない。だが、二家族ぐらいはゆったりと暮らせる広さがあった。そこに、檜香華は母親心葉と二人で暮らしていた。
土師、と表札が掛かっている門の前に、堂士は立ち止まった。それを待っていたかのように門が開き、女が出てきた。菖蒲であった。
「お兄様?」
と菖蒲が首を傾げた。堂士は優しく微笑むと、門を閉めて中に入った。
やがて、堂士は心葉と二人きりになった。あとの二人は檜香華の部屋である。
「伯母様、改めてお久しぶりでございます。ご迷惑とは思いましたが、しばらくの間お世話になります」
堂士がそう言って頭を下げた。心葉がにっこりと微笑んだ。
「堂士さん、しばらくと言わず、ずっとこちらで暮らしませんか。この家は私と檜香華だけでは広過ぎます。堂士さんと菖蒲さんは、亡き妹の忘れ形見、私の大切な甥と姪ですから。私たちはそれを歓迎しますわ」
堂士はスッと顔を引き締めた。
「伯母様、私たちはあまり人の中に入らぬほうが良いのです。特にこの東京へは……。私たちにとっては、鬼門です」
「鬼門?」
「伯母様は私たちの父をご存知ではないですね。母の口からもおそらく聞かれてはいないでしょう」
「堂士さん……。あなたのお父様が何か?」
堂士がフッと遠くを見るような眼差しをした。
「菖蒲も何も知りません。両親が死んだ時、菖蒲は乳飲み子でしたから」
心葉が堂士を哀しげに見つめた。
「私は、その時4歳でした。そして、今でもその光景をはっきりと覚えているのです。私の両親が殺されるところを……」
心葉は絶句して堂士を見つめ続けた。
ようやく、
「殺された?」
と呟いて、心葉は、聞き間違いであって欲しいと願っていた。そのことを堂士から以前には聞いていなかった。
「伯母様、菖蒲も知らない秘密を、伯母様だけに告白することをお許しください。でも、無理強いはいたしません。伯母様がお聞きになりたくなければ、私は口を閉ざしましょう」
そう言って堂士はちょっと目を伏せた。
「堂士さん、是非聞かせてください」
堂士は、心葉が間髪入れずにそう言ったので少しためらってしまった。
「本当によろしいのですか」
堂士の問いに、心葉は頷いた。
「伯母様、この事は菖蒲には黙っていてください。お願いします」
堂士がそう言って頭を下げた。
「約束しますわ。この胸に秘めておきます」
「……。19年前、私は4歳でした。父諸見は23歳、母石蕗は25歳でした。私は両親の生前には、何も聞かされていませんでした。そのことを知ったのは両親が殺された直後です」
堂士がまた遠くを見つめる眼差しをした。
「両親の、と言うより、諸見の記憶のすべてが私の中に入り込んだのです。そして、母の記憶のほとんどは菖蒲の中に入り込みました。しかし、菖蒲は何も知りません。私が菖蒲を封印しましたから」
「封印?」
「すべてをお話しすることが出来ないのは心苦しいのですが、菖蒲に備わった《力》を菖蒲自身が使いこなせないのです。無理に使おうとすれば、菖蒲の体が消滅します」
「《力》とはなんですか」
心葉が不審そうに言った。
「すみません、伯母様。それはお話し出来ません」
堂士は少しの間、何かを考えているようであった。口を噤んで虚空の一点を見つめたままであった。
やがて、堂士は口を開いた。
「私の名字は、当麻と書いて、《とうま》と読むと、伯母様には言いました」
「ええ、堂士さんと菖蒲さんの住んでいる北海道の町の名を取ったと聞いています」
「私の本名は、確かに当麻と書きますが、読みは《たいま》と読みます。父は、当麻家13代当主となる身でした。それを拒んで母と北へ逃げたのです。そして父は実の父の手の者に殺されたのです」
えっ、と心葉が目を見張った。堂士がハッと口を噤んだ。堂士は言い過ぎたと思っていた。堂士は慌てて言葉を継ぐ。
「これ以上知ると、伯母様にも危険が及ぶかもしれません。止めておきましょう」
「堂士さん、教えてください。何故なのです」
堂士は心葉をジッと見つめた。
「母と伯母様は、一卵性双生児でしたね。伯母様は私の母も同然です。二度と母をあのような目に逢わせたくありません」
「堂士さん」
心葉に見つめられて、堂士はしばらく考えていた。すべてを話すことは出来ない。かといってこのまま、うやむやにすることも出来なかった。堂士は、心葉に話したことを後悔していた。だが、ここまできた以上もう隠しきれることではなかった。
やがて、堂士は一つ溜め息を落とした。
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