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 上野駅13番線に北斗星6号が着いたのは定時の11時12分であった。次々と北海道からの乗客を吐き出すドアが、やがてその波を止めた。と、一瞬、冷たい風が通り過ぎたような感じを受けてホームの人々の足を止めたが、次の瞬間には何事もなかったように人々は足を運んでいった。
 乗客が疎らになった頃、8号車のドアから若い男女が下りてきた。車内に入ろうとした清掃員が思わずホウッと二人を見つめた。たぐいまれな美男美女……綾歌が言っていたのはこの二人だろうか。そうとしか思えぬその美貌であった。
 二人は視線をゆっくりと巡らせた。二人の瞳にまだホームにいた人々の称賛の表情が映っていた。恋人同士だろうか、いや、雰囲気が似ているから兄妹に違いない、人々は心の中で呟きながら、足早に去っていった。声を掛けるにはあまりにも美しすぎた。
 女の肩まで伸びた髪はまっすぐで艶やかな黒髪であった。少しの動きで、サラサラと流れた。少しはすかいにかむったベレー帽は、焦げ茶であった。男のほうは、さすがに肩までは伸ばしていないが、同じようにサラサラと風に踊っていた。二人が同時に階段のほうを向いた。
「ごめんなさい、道が混んでいて遅れてしまいましたわ」
 落ち着いた秘色の長袖のシャツを着た若い女性が二人の前まで走ってきた。長い髪をリボンと一緒に編み込んでいる。東雲色のリボンと胸元から覗くスカーフが、彼女の美しさをさらに引き立たせていた。
「お久しぶりです、檜香華さん」
 男の声が静かに響いた。その容貌からすると、予想より低い声であった。
「檜香華お姉様、しばらくご厄介になります」
 女が軽く頭を下げた。檜香華は、ハッと気づいたように二人を促した。
「母が待っておりますわ。屋敷のほうへ参りましょう」
 先に歩き出した檜香華に従うように、二人も歩き出した。

 高円寺の閑静な住宅街に、檜香華の運転する車がゆっくりと入っていった。
「この辺りはあまり変わりませんね」
 男が檜香華の家に来たのは、もう十何年も前であった。なのにその記憶のままに、その街は存在していた。と、男がスッと後ろを向いた。
「檜香華さん、ちょっと寄り道をしたいのです。私だけ下ろしていただけますか」
 檜香華が頷いて車を路肩に寄せた。
「堂士さん、菖蒲さんを連れていきますわよ」
 そう言って悪戯っぽく檜香華が笑った。
「よろしくお願いします」
 堂士と呼ばれた男は丁寧に頭を下げた。堂士を下ろすと、すぐに車はその場を離れた。
(いったい、何者だ)
 上野駅に下りた時点から、粘りつくような視線を感じていた。それに今は殺気さえ含んでいる。
 堂士は近くの学校の校庭に入っていった。そして、校庭の真ん中に立つ。夏休みの今、校庭には誰の姿もない。
(何故、私が狙われる?)
 殺気を孕んだ空気が堂士にまっすぐに向かっていた。
「私に、ご用ですか」
 堂士が言った。その視線の主が桜の木の陰にいた。空気の鳴る音がして、堂士がスッと横に動いた。
(何? 小石?)
 石といっても油断出来ない。人間業とは思えないほどのスピードで投げられていた。無言の問答無用の仕掛けであった。堂士は眉をひそめた。自分が狙われるのは、ある程度は理解出来た。だが、いくら人影がない、と言ってもまだ昼過ぎであった。誰かがとばっちりを受けるかもしれなかった。
(結界さえ張らないとは……。しかし、私も張る時間がないのはしかたないか)
 僅かの動きでそれを避けながら、堂士は胸の前で手を合わせた。途端、桜の木の陰から胸を掻きむしるようにして人影が転がり出た。堂士はフッと息を落とすと、ゆっくりと近づいていく。その人影はすでにピクリとも動かなくなっていた。
(いったい、何者だ)
 見たことも、感じたこともない顔であった。苦痛に歪んだその顔を冷やかに見つめて、堂士はその側にひざまずいた。その手をすでに死んでいる男の頭に置く。
「何故、私を狙ったのです?」
 奇妙なことに死んでいるはずの男の唇が動いた。
「殺せ、と」
「誰から」
「…………」
「私が何者か判っているのですか」
「知らぬ。ただ、今日、北方から来るたぐいまれな美男美女を殺せと頼まれた」
 男のその言葉に堂士の顔色が変わった。
「何? と言うことはお前には仲間がいるのですか」
「いない。俺は一人だ」
「そうですか」
 それを聞いて堂士の顔が少し安心した。
「何故、結界を張らなかったのです」
「けっかい?」
 男の顔が奇妙に歪んだ笑い顔を作った。
「人の心配か。今日は俺一人だった。だが、次は知らんぞ」
 堂士は男の頭の上に置いた手に力を込めた。
「……。もう一度聞きます。誰に頼まれました」
 苦痛に歪んでいる顔がさらに歪んだ。
「たい」
 その唇がそこまで動いた時、堂士は後方に跳び下がった。不気味に音もなくその肉体が四散した。堂士の近くにも肉片が飛んでくる。だが、堂士は顔色も変えずにそれを見つめた。
「式神か。ならば結界を張らないことも理由がつきますね」
 瞬く間に肉片が消え、その後に一枚の紙が残った。赤い色で何かが書かれている。堂士がそれにチラリと目を遣ると、紙はボッと燃え上がりすぐに灰になった。
「東京に着いた途端に、これでは……。やはり、来るべきではなかったのでしょうか、私は」
 堂士が灰に目を落とした。
「たい、か。やはり、そうなのですね」
 そう呟いて歩き出した堂士の髪を風が踊らせた。


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