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立秋。
こんもりと繁る木々の中で、蝉が激しく鳴いている。残暑の熱風が風鈴に軽やかな音色を起こさせていた。
「夢見が悪かったのですか、お父様」
と、座敷のほうから声がした。簾が日を遮断していたが、それよりも不思議なことに座敷は冷え冷えとしていた。クーラーがかかっているわけではないのに不思議であった。
「夢見か……」
その座敷にいたのは粃であった。70歳とは思えぬその風貌であった。白髪であってもとてもその年には思われまい。昼間の光の中では、暗がりで見るよりももっと若く見えた。
「お父様」
艶然とした笑みを浮かべて粃にそっともたれ掛かったのは、彼の娘香散見であった。美しかった。艶やかな、というのは、彼女にふさわしい言葉であった。
「当麻は、滅びるわけにはいかぬ」
粃の手が肩先で軽くカールした香散見の髪を撫でた。
「何のことですの」
香散見の問いに粃はうむ、と頷いた。
「戦いが始まるかもしれぬ」
「戦い?」
香散見が上目遣いに粃を見つめた。嬉しそうな口調であった。当麻の血筋は、戦いを好む。そして、それをもっとも受け継いだような香散見であった。
「綾歌は、20歳前後のたぐいまれな美男美女と言った」
香散見が一度瞬いた。
「お前好みかな、香散見」
そう言って粃の手が香散見の顎をそっと持ち上げた。
「すると、お父様好みでもあるわけですね」
くすり、と笑う香散見の唇が粃に塞がれた。
「綾歌の夢見はそれだけなのですか、お父様」
香散見が少し冷たい口調で言った。綾歌の名が出てくると、香散見の心に僅かなわだかまりが湧いてくるのだ。何故か、粃は香散見を綾歌には会わせない。それを香散見は気に入らなかった。そして、粃はその理由を教えてはくれなかった。
「北から来るその二人は、わしらにとって、当麻家にとって最大の障壁になろう。しかしその二人が誰なのか、どのような《力》があるのか判らぬ、とな」
「ただ、私たちの前に立ちはだかると?」
粃が簾の向こうを見つめた。
「お父様?」
「判らぬ。ただ、敵にすれば当麻の存亡にかかわると」
「では、味方には出来ないのですか」
香散見の耳たぶを粃が軽く噛んだ。僅かに香散見が震えた。
「味方にしたいか、香散見。たぐいまれな美男だからの」
粃の言葉に香散見がフフッと笑った。
「味方にはならぬ。綾歌はそれだけははっきりと言った」
香散見の真紅のワンピースがスルリと肩から落ちた。粃の舌に乳首をもてあそばれながら、香散見はさらに艶やかな笑みを浮かべた。
「では、殺すしかありませんね。でも、ただで殺すのは惜しいかもしれません。出来れば一度お会いしてからでも……。お父様、私にまず任せてくださいますね」
香散見は嬉しそうに言った。
「寒河家の跡継ぎが男であればな」
粃が香散見を抱き抱えた。
「わしと交わらずともよいのにの」
「まあ、お父様。私がお嫌ですの」
香散見の両手が粃の首にかかる。
「嫌、と言って欲しいか」
誘うような口振りで粃は言った。香散見は粃の口を塞いだ。そして、唇を離して、フフ、と笑った。
「それを言うのなら、お父様」
香散見はさらに深く粃を誘い入れた。
「芳宜お兄様の不甲斐なさを、いえ、それよりも、諸見お兄様の裏切りを言いたいのではありませんの」
二人の体が眩いばかりに輝いた。その光が去った後も香散見は粃を放さなかった。
「香散見、その話はするな。特に諸見の名を出すのは止せ。芳宜を寒河家の跡継ぎに任せて結果を待ちたいが、それは無理なようじゃ。綾歌は今年中、と言った」
粃の表情に固いものが現れている。その顔にチラリと目を遣った香散見は、
「お父様、心配ありませんわ」
と粃を抱き締めた。そして、粃の背に爪を滑らせた。
「当麻13代が不甲斐なくとも、私がおりますわ。私とお父様であれば、その二人が何者でも当麻の歴史を止めはしません」
粃が再び腰をグッと突き上げた。香散見がそれに応えるように体を大きく反らした。
蝉の鳴き声が、そういえば座敷にも届いていた。
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