程なく和哉が出てきた。
「まるでご隠居ね、和哉さん」
 と玲子がクスリと笑った。
「ええ、本当に楽させてもらってるよ、あっちゃんにはさ」
 和哉がにこにこと笑って言った。
「もう返済は終わってるんでしょ、例のアレは」
「ああ、とうの昔にね。もちろん、ちゃんと彼には伝えてるさ。でも何だかそのまま続けちゃってさ。まあ、オレとしては至極助かってるって感じ。あっちゃんが来てから売上も伸びてるしさ。実際オレが作るより美味いんだよな、ホント何者なんだか……」
 シェーカーからグラスに中身を注ぎ入れながら和哉は言い、カウンターから出てそれをテーブル席のほうへと持っていった。
 そうやって戻ってきた和哉に玲子は、
「その何者なんだっていう人を雇ってるあなたも、私から見れば、何者なんだろうって思うわよ、和哉さん。本当、この店のスタッフたちは不思議が一杯。和哉さん、あなたを含めてよ」
 と笑った。
 和哉はおや? と眉をひそめて、玲子を見、
「オレの何処が不思議なんでしょうね? オレはただ単に、伯父さんに頼まれてこの店を潰れないように頑張ってる、一介のマスター代理だよ」
 と不満げに言った。
「そう」
 と玲子が和哉を指差す。
「その伯父さんからして不思議じゃない。私は一度も会ったことないのよ。こんなに長い付き合いなのに」
「まあ、そりゃあ、オレが玲子さんに会ってから、伯父さんに会ってないから、玲子さんが会っていないのも当たり前だけど……。あ、一度会ったか。京介のこと頼まれた時」
「京介君は伯父さんが連れてきたの? 彼も何者なのよ。まさか、伯父さんのお稚児さんってわけじゃないんでしょ?」
 真面目な顔でそう言った玲子に、和哉は軽く吹き出してしまった。
「全く……お嬢様が口にする言葉じゃないですよ、玲子さん。それにそのこと、京介の耳に入ったら、一生許してもらえなくなるから。あいつ、自分の女顔すげー気にしてるからさ」
「でも、それを商売にしているのは、何処のどなた? ねえ、あっちゃんも含めて」
「あ、オレか」
 和哉はポリポリと項を掻いて、
「オレの伯父さんってのは、オレの母親の姉の旦那。で、京介は伯父さんの姉の子供だよ」
 と言った。
「ええ…と?」
 玲子が頭の中で系図を描いて、
「つまり
 と和哉を見返す。
「親戚に当たるのは確かだけど、オレとは血の繋がっていない赤の他人に近い奴だよ。オレなんかより、あっちゃんのほうが何か近く感じるんだよな」
「え? どうして?」
「いや、確たるものを感じてるわけじゃないけどね、何かね」
 その時、カタン、と奥への扉が開き、敦司が戻ってきた。
「さて、と。オレはまた奥へ戻ろうかなー」
 和哉がそう言いながら擦れ違いざまに奥へ入ろうとするのを、敦司がその腕を掴んだ。
「駄目ですよ、マスター」
「マスターじゃないだろ。マスター代理、若しくは、和哉」
 無理に敦司の手を振り解こうとはせず、和哉は諦め口調で言った。
 敦司は和哉の腕から手を離して、
「和哉さん、たまには仕事しましょうね」
 と言い、玲子がそれにクスリと笑った。
「そうそう、あなた目当てのお客様もいることだし?」
 と意味ありげに和哉を見た。
「はいはい」
 和哉が肩を竦めてカウンターに戻るのに、玲子と敦司が目を合わせて僅かに笑みを零した。
「それで、京介君は? 彼目当てのお客様も多いのよ」
 まだ戻ってこない京介を訝って玲子が言うのに、
「すぐに戻ると思いますよ」
 と敦司が答えたところで、カラン、とドアが開き、京介が肩の上に白竜を乗せたまま戻ってきた。
 もちろん、その店の中では敦司と京介以外にそれは見えないのだが。
 コトン、コトン、と敦司と玲子の前にグラスが置かれて、二人は和哉のほうを見た。
「腕は落ちてないと思うぜ」
 そう言って、和哉は片目を瞑ってみせて、
「あっちゃんにはオールド・パル、玲子さんにはオリエンタル」
 と言って京介の前にコトン、とグラスを置き、
「京介には、絞り立てのグレープフルーツジュース。お前、酒、飲めねえからな」
 と言った。
 玲子がグラスを見つめて、
「あら、あっちゃんがこの店に来た時のオーダーね」
 と言って微笑んだ。
 敦司がグラスを手にして、和哉を見、スッとグラスを掲げると口を付けた。
「味、変わりませんね」
 敦司が僅かに口元に笑みを浮かべ、それに対して和哉がニヤリと笑い、
「ってことで、腕も落ちてないことも立証できたことだし、ご隠居はご隠居らしく、この後は若い者にお任せするとしようか。じゃ、後はよろしく」
 と敦司の肩をポン、と叩くと、さっさと奥へと入っていった。
 敦司がグラスを持ったままそれを見つめ、そして玲子のほうに視線を戻すと、玲子が肩を竦めて、
「負けちゃったわね」
 とグラスを傾けて笑った。



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