「それで、あなたは何者なの?」
 玲子(れいこ)がカウンターに頬杖をついて言った。
 敦司はグラスを磨いていた手を止めて、玲子に視線を向け、またその手を動かし出しながら、
「言ったはずですが私は除霊師だと」
 と答えた。
「それは聞いたわ、確かに」
 玲子が目の前のグラスの足を指でつつきながら言う。
「それ以外の何者でもありませんよ」
 敦司は磨き終わったグラスを後ろの棚にしまって、新しいグラスを取り出した。
「あなたは稲葉敦司と名乗ったわ」
「ええ、そうです」
「でも、それが本当の名前ではないんじゃないのかなーって私は思ったの」
 敦司が冷凍庫から丸く削って置いた氷を取り出して、グラスに静かに入れる。幽かに氷が音を立て、グラスの中に鎮座した。
「玲子さん、世の中には知らないほうがいいことのほうが多いんですよ」
 敦司がグラスに酒を入れ、ステアしながら言った。
 顔立ちは怜悧で声も低く、冷たい印象を受けそうだが、そう感じさせないのはその中に柔らかさが含まれているためだ。
 敦司がグラスをスイッと玲子の横に差し出すと、いつの間にそこにいたのだろう京介がそれをトレイに載せ、テーブル席のほうへと運んでいった。
 玲子がその背にチラリと目を向けて、
「不思議と言えば、この店のスタッフはみんな不思議だわ。和哉さんも京介君もみんなベールを二枚も三枚も被っている感じ」
 と少し笑ってグラスの中身を飲み干した。
「それを言うなら玲子さん、男にとって女性はいつまで経っても神秘のベールの向こう側にいると感じるものですよ」
「あら?」
 玲子が空になったグラスを敦司のほうに押しながらまた笑った。
「あっちゃんの口からそんな言葉を聞くとは思わなかったわ」
 『あっちゃん』の呼び名に敦司が眉をひそめる。
「あら?」
 今度は面白げに玲子は言った。
「随分経つのにまだ慣れないの? 『あっちゃん』」
 敦司はグラスを流しに下げ、
「慣れようとは思いませんからね」
 と苦笑した。
「でもまあ、悪くないとは思っていますよ。そんな砕けた調子で呼ばれたのは、生まれて初めてだったので新鮮でしたから」
「ふうん」
 と玲子は頬杖を止めて両手を組んで顎を載せた。
「やっぱり不思議ね、あなたって。そして確信。あなたは本当の名前を隠している」
 敦司は何も言わずに玲子の後ろを見た。
 京介がトレイをカウンターに置きざま足早に外へと出ていくのを二人は見送る。
「また?」
 玲子がチラリと敦司を見る。
「みたいですね」
 敦司は答えると、
「奥で惰眠を貪っているだろうマスターを呼んできますよ」
 と言って奥へと向かった。
「マスター代理でしょ」
 と玲子がその背に投げ掛けると、敦司は振り向いて、
「本当にいるのか判らないマスターの代理?」
 と少し笑って奥へと消えた。



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