そして、その夜凶事が起こる。 西之丸側用人、斉藤堀部を中心としたいわゆる大御所派と呼ばれていた者が悉く殺されたのだ。そして彼らはみな病死と届けられることになる。それは後日のことだったが。 羽場外記はその出来事を夜が明けての床の中で出馬から聞いた。数日前から風邪をひいて寝込んでいたのだ。 出馬はその報告をすませると再び去っていく。外記の側にいるのは為栗の仕事であり、四郎の側にいるのが出馬の仕事なのだ。そう外記に命令されていた。 外記は夜着のまま障子を開ける。熱は下がったようで空腹感を覚える。今日辺り床を上げられるな、と外記は思った。 「わしもそろそろ」 外記は縁側に出ようと足を踏み出す。そこに、 「殿!」 と言う叫び声とカシッカシッという金属音が響き、庭に形の違う手裏剣が落ちた。外記はそのままの格好で立ち竦む。 「殿、ご心配なく、気配は去りました」 庭の一方から為栗の声がしてくるのに、外記はホッとして庭に下りようとした。 「なりません、殿!」 為栗の姿が庭木の間から現れるのと、外記に向かって手裏剣が再び飛ぶのと、それは為栗のほうが早かった。だが、外記の側に到達するのは手裏剣のほうが勝る。為栗の左手から飛んだ手裏剣は、相手に正確に突き刺さり、それを背中で感じて為栗は外記を抱き起こした。 「殿、私の油断でした」 外記がゆっくりと目を開ける。 「わしも、大御所派だからの。為栗、わしが今朝まで生き延びたのは、お前のその怪我のお陰なのじゃな」 為栗は体のあちこちから血を流していた。 「この分では湊屋もとばっちりを受けたの」 ゴホゴホと外記が咳き込む。為栗は首を振った。 「お喋りなさるな、手当てをいたします」 外記は為栗を見上げ、ゆっくりと首を振る。 「無駄なことはしなくてもよい。為栗、お前も出馬もわしが死んだら命令は無に帰す。江戸に残るなり、里へ帰るなり、好きにすればよい。そして言っておくぞ、為栗、わしは誰も恨んではおらぬ。だから復讐などしてはならぬぞ。誰に対しても、何もしてはならぬ」 「殿、しかし、貴方様を殺そうとしたのは」 「為栗、わしはお前たちを本当の息子のように思っていた。わしには子供が出来なんだからな」 外記の妻は、さち、と言って亡くなったのは数年前であった。仲睦まじさは知らぬ者はなく、だが生涯二人の間には子供は出来なかった。 「さち……」 外記が一瞬目を瞑って呟いた。 (殿は長信君も息子のように思ってらっしゃったのか?) 「殿」 為栗の呼び掛けに外記が目を開け、そして少し微笑む。 「お前から何か言いたそうにするのは珍しいな。出馬とは全く逆だ」 「殿は、長信君を押していらっしゃったのですか?」 外記がフッと笑った。 「そうだな、押していた、というのが正しいだろうな。確かに長信君が城をあのまま出奔されなかったなら、わしも斉藤殿と同じように夢を見ていただろう。そう、夢じゃ。それを気付かせてくれたのは、他ならぬ長信君じゃ。城を出奔されたと聞いて、そしてわしは夢を見ていたことに気付いた。だから大御所様にも松千代のことを構うなと言っておったのじゃがな」 フウッと外記が息を落とす。 「お前は長信君がどうして江戸に戻ってきて、そのまま留まっているのか、その理由が判るか?」 「判りません。私にはあの方が何をなさっているのかが判りません。ですから、殿の命令がなければ、あの方に関わることなどなかったでしょう」 「そうじゃな。わしにも理由は判らぬ。ただ、あの方が将軍家を継がれる気がないことだけは判るかな」 外記の声がだんだんと弱くなって、為栗は胸が苦しくなった。 「為栗、お前たちは充分に私のために尽くしてくれた。これ以上はわしは何も望まぬぞ。いいな、為栗、もう何にも関わらずともよい、判ったな」 「殿……」 為栗は外記から少し離れてひざまずいた。外記が僅かに微笑んでそして目を閉じる。 為栗はしばらくそこにひざまずいたまま、外記をジッと見つめていた。表情は出ない。やがて為栗はその場から消えた。
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