梅雨の終わりの雷が近くで鳴っていた。 西之丸の主人である大御所は、ふと隣部屋に気配を感じた。 「伝十郎か?」 大御所はそう尋ねたが、それに対する答はなかった。大御所の顔が青ざめて引きつる。 それに気付いてか、隣部屋から含み笑いが起こった。 「随分と気が弱くなったみたいだな」 その笑いを含んだ言葉に、大御所はホッと緊張を解く。 「伝十郎、悪戯が過ぎるぞ」 そう言って大御所は手ずから襖を開ける。だが、そこにいたのは伝十郎ではなかった。伝十郎は襖の陰に立ち、大御所の目の前に座っているのは四郎であった。 大御所はそのまま動かない。 「元気そうじゃな」 しばらく後に大御所は言い、元座っていた場所に戻ると、 「二人ともこちらに入らぬか」 と言った。 伝十郎は躊躇っている四郎を引っ張るようにして入り、襖を閉めた。 「父上もお変わりなく」 と四郎が言いかけるのに、大御所は笑う。 「お前が出て行ってどれほどの年月が経ったと思っておる。どれほどに老けたか」 確かにその通りだ、と四郎は思ったが、それを口にすることはしなかった。 伝十郎がムスッとして、 「では、俺は帰るぞ。今日は四郎殿をここに連れてくるのが目的だったからな」 と立ち上がり掛けるのを四郎が止めた。 「いや、私が伝十郎殿にここに連れてきてくれと頼んだのは、父上の前でこの刀を譲りたかったからだ」 四郎が脇に置いてあった無陰刀を伝十郎に差し出した。 「無陰刀を、俺に?」 訝しげに伝十郎は四郎を見た。 「武士を捨てようと思う。だから刀も必要ない。伝十郎殿に渡すのがこの刀にとっても良いことではないか、と思うのだ。伝十郎殿の腕ならば、無陰刀に使われることなどないであろうし」 伝十郎の手が無陰刀に伸びる。確かに無陰刀には魅力がある。四郎の腕にも魅力がある。自分の差している無頼剣を造った男は、無陰刀だけが成功品と言ったそうだ。 伝十郎の手が無陰刀の鞘を掴んだ。 と、グラリと伝十郎の意識が反転した。
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