系図



「私にお見合いの話が市田様より参りました」
 湯谷寺の離れに座って、開口一番、相月はそう言った。
「お相手は、若年寄小沢様のご嫡男、忠頼様とか」
「そうか、相月殿もすでに十七。小沢殿のご嫡男ならば良い縁組みではないか。おめでとう」
 四郎は素直に喜んでそう言った。
 短い間だが寓居として選んだ湯谷寺で出会ったこの少女を、四郎は妹のように思っていた。その縁組みが決まったことは、自分のことのように嬉しい。
「長信様、私はあなたをお慕いしております」
 いきなり響いてきた相月の言葉に、四郎は戸惑う。相月は真剣な面持ちで自分を見つめ、四郎は驚きに目を見張って相手を見つめた。
「あ、あの、相月殿」
「判っておりますわ。私と長信様とでは身分が違いすぎます。それに伯父様と長信様は、所詮敵同士。でも、私が貴方様を慕っている気持ちはそんなものでは揺るぎません」
「相月殿、私は……」
「小沢様とのお話はお受けするつもりです。伯父様のためです。私をここまで育ててくれたのは伯父様なのですから。その幸せが、私が小沢様に嫁することならば、私はそれを叶えてあげたい」
 相月はキッと顔を上げ、そして立ち上がると、その手を帯に掛けた。
「相月殿?」
 するすると帯を解いていく相月に、四郎はその手を止めようと立ち上がり掛けた。その上に相月は倒れ込む。
「長信様、お願いです。私に情けをかけてください。私に貴方様を恨まさないでください。私をほんの僅かでも好いていらっしゃるのなら、私の願いを叶えてください」
 相月が潤んだ目で四郎を見上げる。四郎が相月から離れようとすると、反対に相月は四郎を強く抱き締めた。
「相月殿、こんなことをしてはいけない」
「私をお嫌いですか?」
「い、いや、嫌ってはいない。だが、こんなことをしてはいけない」
「私には思い出を求めることも出来ないのですね。ならばいっそ死んだほうがましです」
 自分から離れようとする相月の腕を、四郎は思わず掴んだ。
「離してください。長信様、私の願いを叶えてくださらないのなら、止めないでください」
 相月の目から涙が流れる。
 四郎は相月の腕から手を離すことなく、首を振る。
「相月殿、あなたが本当にそれを望むのなら」
 四郎が言いかけた時、相月は四郎に抱き付いた。
 四郎はもう何も言わなかった。


 やがて、四郎は湯谷寺の石段をゆっくりと下りていた。
 こんなことになってしまったことを後悔したい。だが、もはや取り返しの着かないことなのだ。
(伯父のため、か)
 相月は観円のために自分の思いを消して嫁ぐと言っていた。
 みな、何かを犠牲にして生きているのだ。
「ならば、私は何を犠牲にする?」
 四郎が小さく呟く。

 それから間もなく相月は若年寄小沢忠明の嫡男、忠頼に嫁ぎ、そして信忠を生むのだが、それはまだ先の話であった。


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