江戸城、西之丸。 こちらも藤の花が薄紫と白の花弁を垂らせていた。 「上様、入ってもよろしいですかな」 障子は開いているのだが、そこから部屋の中が見えないところに立ち止まって、西之丸側用人の斉藤堀部は言った。堀部が上様と呼ぶのは、将軍家のことではない。大御所のことであった。 大御所は、 「堀部か」 と言った。 「失礼いたします」 堀部は頭を少し下げて部屋の中に入ると、 「藤の花が見事でございますな」 と言った。大御所は気のなさそうに外を見る。 「堀部」 大御所は堀部のほうを見ずに相手を呼んだ。 「あれはどうしておる」 堀部は髭を触った。 「江楽堂の近所の子らに字を教えてらっしゃいますな。なかなか評判がよろしいようで。お会いしとうございましょう?」 大御所は振り向いた。 「あれはわしの息子じゃ」 「はい」 「そして、弟じゃ」 「はい、さようで」 堀部は神妙に頷いた。 「堀部、あれには構うな」 堀部は大御所を見つめ、しばらくして、 「努力、いたします」 と頭を下げた。そして、辞去しようとして、思い出したように、 「子供たちの中に越中様の御子の姿が見えました」 と言った。大御所が首を傾げる。 「越中は知っておるのか?」 「さあ、おそらくは偶然のことだと思いますが……。どのようなことでそのようなことになったのかが判りませんが」 大御所は考え深げな表情を浮かべ、 「伝十郎には言うな」 と一言言うと下がるように手を振った。 堀部はでは、と辞した。
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