系図



 やがて、露姫の駕籠は市田家中屋敷に戻っていった。ここが吉信と露姫の家であった。
「吉信殿、今日もお加減が悪そうですね」
 露姫は吉信の寝所に入るなり、そう言った。
 吉信の病状を気遣っての言動ではない。吉信もそれで露姫を責めようとは思わなかった。お互いの家のための政略結婚で結ばれた二人なのだ。
 露姫は吉信の床の横に座った。
「今日、長信様にお会いしましたわ」
 吉信は起き上がって、床の上に座る。
「吉信殿、長信様にお会いしたいでしょう? 私ももっとお会いしたいと思いますわ。長信様に私は嫁ぐはずでしたのに、こんな病人を押しつけられて」
 露姫は蔑むように吉信を見、吉信は何も言わずに露姫から目を逸らした。どんな言い方をされようとも、吉信は決して露姫を責めなかった。それが露姫には気に入らない。そんな情けなさを、露姫は嫌いなのだ。
「吉信殿、あなたは私の夫です。私を抱いたらいかがです?」
 そう言って露姫は吉信の手を取った。ハッとしたように吉信が露姫を見つめ、露姫は吉信の手を自分の胸元にそっと差し込む。吉信は露姫のなすがままにしていたが、そっと露姫から離れた。
「情けない!」
 露姫はバッと立ち上がった。
「女も押し倒せないような男が、私の夫とは。情けない」
 蔑むような目つきで再び露姫は吉信を見下げる。吉信は、
「すまない」
 とだけ言って、頭を下げた。
 露姫は一つ深呼吸をすると、
「言っておきますわ、吉信殿。私は長信様の御子が欲しい。きっとあの方の御子を産んでみせますわ。安心していただいて結構です。その子は市田吉信の子として育てますから」
 と言って笑った。
 吉信は驚くことなく顔を上げて、
「露姫殿、あなたの好きなようにしてください。私はあなたのために何も出来ないから」
 と言った。
 露姫は冷たく吉信を見下ろし、そして、クルリと背を向けると出て行った。
「そう、私はあなたのために何も出来ないから……」
 吉信は露姫が出て行ってしばらくしてから、再び同じ言葉を吐いた。それは事実だ。
 ふらっと目眩を起こし、吉信は床に入った。再び熱が上がってきたようだ。
 吉信は四郎に会いたかった。どうしても、近いうちに会いたかった。自分の死期が近づいているのが判る。その前にどうしても吉信は四郎に会わなければならなかった。

 吉信は目を閉じる。
 瞼の裏に浮かび上がるのは、しかし、四郎の姿ではなかった。そこに浮かぶのは露姫だけ。吉信は露姫を愛していた。それは四郎が城を出奔して、そして自分の相手が露姫に決まって、そして初めて会った時からその思いは続いていた。
 政略結婚であることは判っている。そして、露姫が自分を愛すことがないことも判っている。だけど、自分が露姫を愛していることも判っていた。それだけが吉信の真実なのだ。その思いを露姫に伝えることなど出来はしない。こんな病人を愛してくれる人などいないのだ。
「ただ、思うことだけは誰にも負けはしない」
 吉信はそう呟いた。

 藤の花が今を盛りと庭の隅で咲いていた。


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