露姫が向かったのは、市田家の寮であった。 露姫は四郎を茶室へと案内する。それは、本郷家で露姫と出会った時の茶室と、全く一緒のものであった。 回りの木々も、茶室の古さも、流れる小川のせせらぎも。 「本郷の茶室と全く同じに造らせました」 と言って、露姫はにじり口から中へと入った。久間の姿はいつの間にか消えていて、四郎は露姫に続いて茶室の中へと入る。 春楡が床の間の一輪挿しに挿されてあった。 「お話とは何です、露姫殿」 差し出された茶碗に今回は手を伸ばさないまま四郎は言った。それに露姫は冷たく笑う。 「何故、ついてこられたのです?」 「あなたが話があると言われたからです、露姫殿。私は別に何も話すことなどありませんが」 四郎がジッと露姫を見つめ、露姫はふっと口元を歪めた。 「何故、大御所様にお会いにならないのです? 西之丸側用人から手紙が届いたのではありませんか?」 四郎は茶碗を手に取り、一気に飲み干した。 「手紙の内容をお聞きになりたいためか、この招待は? 聞きたくば教えて差し上げても良い、別に大したことを書いていたわけではないからな。私に会いたい、ということと、寿命が尽き掛けている、ということが書いてあっただけだ」 「何故、お会いしないのですか、長信様」 四郎は露姫の前に茶碗を戻した。 「私は槇原四郎と名を変え、松平長信はすでにこの世にいない」 露姫は冷たく笑って茶碗を脇に寄せた。 「吉信殿に会われないのも、同じ理由というわけですの? あの日以来、一度も訪れていらっしゃらないようですね」 四郎は無言であった。 「情けない男ですわ、吉信殿は」 吐き捨てるように露姫は言った。 「露姫殿、吉信はあなたの伴侶だ。その物言いはあんまりではないか」 露姫はスッと立ち上がった。 「長信様、本当のことを言って何が悪いのです?」 四郎も立ち上がった。 「帰る」 四郎はそう一言言うと、露姫を一瞥することなくにじり口から出て行った。 露姫はその背から春楡の花に目を移す。 それを見つめていたのはほんの僅かな時だったのかもしれない。 その目からツツーッと涙が流れ、露姫はそれに驚いたように慌てて拭った。 自分の涙の意味に、露姫は自嘲する。 「涙など、私は流すことはない……」 露姫は春楡の枝を引き抜くと苛立たしげにバラバラにし、茶室から出て行った。 表へと向かうと、いつの間にか久間が後ろに現れ、 「中屋敷に戻る」 と露姫が言うと、 「では、駕籠の用意をいたします」 と久間が立ち去っていった。
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