しばらく走り続けて、やがて主馬はトボトボと歩き出した。 向かっているのは松平家本家であった。 主馬の父、元信は、松平定信の三男で主馬の生まれる前に亡くなっていた。だから、定信の次男信輝の分家で清とともに暮らしていたのだ。 そして、定信の長男定永が本家を継いでいて、従兄に当たる定和の元へ主馬は向かっていた。 主馬が兄のように慕う定和は16歳、きっと定和ならば判ってくれるはずだ、と主馬は思った。 月が雲にすうっと隠れた。 不意に木の陰から、 「主馬様」 と声を掛けられ、ハッと主馬がそちらを向いた。 再び月が雲の陰から出てきた。 「澪……」 月明かりに目をこらした主馬の目の前に出てきたのは澪であった。 主馬は途端カッとなって澪の腕を掴む。 「澪、何故あんな嘘を付いた? いったい何があったんだ? 私に納得できるように説明してくれ」 澪は主馬に腕を掴まれたまま身動ぎもしなかった。 「主馬様、御本家に行かれても、貴方様の居場所はございません。もう、松平家のどこにも貴方様の居場所はないのです」 「それはどういう意味なんだ?」 澪は首を振った。 「私と一緒に江戸を出てください。それからすべてをお話しします」 そう言って澪は歩き出した。主馬の澪の腕を掴んでいた手が自然に離れる。 「私は行かないぞ。今すぐ理由を言わない限り、私は兄上に会いに行く。澪、何故今話せない?」 澪が振り返って、 「小鉄、主馬様をお連れして」 と主馬の後ろを見ながら言った。主馬がギクッと振り返る。主馬のすぐ後ろに男が跪いていたのだ。 「誰……だ?」 気配など全く感じさせなかった。主馬を見上げた顔立ちは少年と青年の間のようであった。 「小鉄と申します」 そう言って小鉄はいつの間にか立ち上がっていた。主馬は小鉄を見上げる。 「小鉄の里に着きましたら、すべてをお話しいたします。さあ、主馬様、参りましょう」 澪はそのまま前を向くと歩き出した。 主馬は一瞬考えて、そしてその後をついていった。小鉄はさり気なく主馬の後ろを歩く。 しばらくして主馬は後ろを向いた。 「小鉄」 と言って促し、小鉄は主馬の隣に来た。 「小鉄の里はどこだ?」 小鉄が澪のほうを見、澪が振り向いて頷く。 「私の里は伊賀でございます」 「伊賀か。と言うことは、小鉄は忍びなんだな。お前の里はみな、忍びなんだな」 興味深げな目つきになって主馬は言った。 「いいえ、そうではございません」 「何だ、違うのか。それで、お前は何歳だ?」 「18でございます」 ふーん、と主馬と澪を代わる代わるに見た。 「小鉄は澪と同い年なのか。私は6歳だ」 「はい、存じております」 「まだたったの6歳だ」 ふて腐れたように主馬は言う。その様子に小鉄はクスリと笑い、主馬がキッと顔を上げた。 「申し訳ございません。文武両道に秀で、その歳とは思えないほど大人びた方だとお聞きしておりましたので」 と小鉄は頭を下げた。 主馬はムッとした顔のまま、 「別に、怒ってなどいない」 と言った。 またしばらく無言の道行であった。 そして、再び口を開いたのも主馬であった。 「小鉄、私はお前に武道を習うぞ、いいな」 小鉄が眉をひそめる。 「お前はこの私に僅かにも気づかすことなく、私の後ろについた。今のお前は私より数段腕が立つ。お前を超えるほどの腕を持つためには、お前を師匠としたのが一番だ。そうだな。だから、私にお前は、お前の持っているすべての業を教えるんだ」 小鉄は困ったように澪のほうを見た。澪が黙って頷く。 「判りました。お教えしましょう」 小鉄はそう言って頭を下げ、主馬はそれに満足げに歩を進めた。 やがて、三人が去ってしばらくして、夜更けに馬が駆け抜けた。 月だけがそのすべてを見ていたのだった。
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