「母上」 主馬は襖に向かってそう呼び掛けた。明かりが灯っているのに返事がない。 「母上?」 主馬はそっと襖を開けてそのまま立ち竦んでしまった。 清は畳の上に倒れている。胸を朱に染めてすでに事切れていることが判った。 微笑んでいる。そう、清は微笑んだまま死んでいたのだが、この時の主馬はそれを目に映したものの、ただ清が死んでいることだけしか理解できなかった。その微笑みに気づくのは、これから何年も先のことだったのだ。 ガチャン、と主馬の後ろで何かが落ちて壊れた音がし、続いて悲鳴が響く。 「だ、誰か……清様がっ」 その叫び声に主馬は思わず腰元を突き飛ばして自分の部屋へと向かっていった。 「主馬様が、主馬様が……」 腰元の叫びが背中に響いていた。 主馬は自分の部屋に戻ると弾む息を整えようと、そして気を落ち着けようとした。 (母上が……死んで……殺されて? 何故?) 頭の中が混乱する。 そこへドタドタと足音をさせて家老の左近が入ってきた。後ろに何人かの家臣がいる。 「主馬様、何ということをなされたのだ」 主馬はいきなりの左近の言葉の意味が判らなかった。 「清様を、母上様を殺めるなど、ご乱心なされたのか」 主馬は思わずギッと左近を睨み付けた。 「左近、何をたわけたことを言う。何故私が母上を殺さなければならない。私が行った時には、すでに母上は殺されていたんだ」 左近は首を振った。 「澪が申しておりました。主馬様が清様を手に掛けられているところを見たと」 主馬が怒りで赤くした頬を青ざめさせた。 「澪がそう言ったのか?」 澪は左近の娘で当年18になり、主馬は姉のように慕っていた。その澪がどうしてそんなことを言ったのだろう? 「おい」 と左近は後ろの家臣たちに目配せをした。家臣たちは主馬に向かってくる。 思わず主馬は後ろに下がった。ここで彼らに捕まってしまうと一生日の目を見ることが出来ない、咄嗟に主馬はそう悟った。 抜く手も見せず、主馬の刀が一閃、二閃する。 主馬が家臣たちの間をすり抜け、呆然と立ち竦む左近と峰打ちで倒れた家臣たちをそこに残して、屋敷を駆け出していった。
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