「伝十郎殿?」 四郎の呼び掛けに、伝十郎はハッと四郎のほうを向いた。手に持ったままの杯の中身はすっかり冷え切っている。 「今宵の桜は淋しそうだ。今年最後の姿だからかな。そして、伝十郎も何か淋しげだ」 気遣うような四郎の言葉に、伝十郎はゆっくりと起き上がり、手に持っていた杯を畳の上に置いた。 「昔の夢を見ていた」 吐き捨てるように伝十郎が言い、四郎がそれに首を傾げる。 「それが何か哀しい夢だったのか?」 伝十郎がいきなり脇差しを抜き様、杯に斬りつけ、そしてスッと立ち上がった。 「桜の満開のあの夜に、母親を殺されただけの話だ」 冷ややかな口調でそう言い残して、伝十郎は座敷を出て行った。 「伝十郎殿……」 四郎は言葉を掛けるきっかけを失ったまま、伝十郎を出て行くのを見送るしかなかった。 やがて、畳の上の杯を手に取る。 ぽろり、と二つに割れた杯が畳の上に落ち、継いで、冷え切った酒が畳の上に広がった。
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