四郎は前を歩いている伝十郎の背にフッと視線を転じた。 いったいこの男は何者だろう。 自分の正体を簡単に見破り、そして様々なことに通じているこの男。 そして、その背にこびりついているような暗い翳が四郎には気になるのだ。 「早瀬殿、ところで貴公の正体はいったい何者なのだ?」 伝十郎は立ち止まって四郎を振り返った。 「俺はただの早瀬伝十郎だ」 「爺いが、早瀬殿も松平姓だと言っていた」 その言葉に伝十郎は一瞬自嘲を浮かべる。 (余計なことを) 伝十郎は心の中で呟いて僅かにムスッとした。 「フン、それに付け加えれば、露姫とは従兄妹という、な」 四郎は驚いた顔で、 「ほう」 と呟いた。 「で」 と四郎は尋ねた。 「貴公はいったい何者なんだ?」 伝十郎はニヤッと笑った。 「俺は、ただの早瀬伝十郎さ」 四郎は諦めて肩を竦める。 「言えぬのか。仕方がない。それで、これからどうする気だ?」 「これから? そうだな。まあ、もちろん、俺は女のところへ潜り込む。良かったらお主にも紹介するぜ」 伝十郎はそう言ってニッと笑った。 「い、いや、そうではなく」 四郎が少し頬を染めるのに、伝十郎がクスリと笑った。 「俺は何もしない」 「何もしない?」 四郎は声を荒立てた。伝十郎は冷笑を浮かべる。 「では、長信君、何が出来る。お主にいったい何が出来るんだ?」 「うっ」 四郎は言葉に詰まった。 「四郎殿、世話を焼くのは俺の性分に合わないがな」 伝十郎はクルリと背を向けて言った。 「俺の知り合いに、江楽堂という瓦版屋がある。そこに居候させてもらえ。このまま江戸に留まる気ならばな。但し、槇原四郎として生きるならば」 と伝十郎は再び四郎のほうを向いた。 「そうしたいのなら、二度と江戸に戻らぬことだ」 四郎がジッと伝十郎を見つめる。 「別にお主のことが心配なのではない。どんな理由で江戸に留まろうとするのか、それも興味はない。お主と将軍家がどうなろうと、幕府が倒れようと、そんなこともどうでもいい。俺はただ、一人の子供を政略の果てに葬ろうとしたことが気に入らないだけだ」 伝十郎は口を開き掛けた四郎に背を向けると、ゆっくりと歩き出した。四郎はその背をジッと見つめたまま動かなかった。 「子供?」 四郎が口の中で呟いた。 伝十郎の言ったその子供が誰なのかは四郎には判らなかった。 ただ、自分がこれから伝十郎に関わっていくのではないか、ということを予感していた。 どのようになのかは判らない。 だが、何かを予感したのだ。 それは当たっているのかもしれない。 ただ、伝十郎が四郎に関わっていくのだったが……。
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