系図



「四郎殿、どうやらお主は裏の世界のことには疎いらしい。だが、己の兄が将軍としての器量に未だ足りないことには気づいているだろう? しかし、幕府は成り立っている。つまり実権を握っている者が他にいるということだ。だが、大御所ではないぞ。彼はもはや何もするつもりはないらしいからな。今、実権を握っているのは市田越前守だ」
 そのまま少しの間口を噤んで伝十郎は四郎の顔をジッと見ていた。
「多くの実権者がそうであるように、越前守も邪魔者には容赦しない人だ」
 伝十郎は平八郎をチラッと見たが、すぐに四郎に視線を戻す。平八郎は口を挟もうとせず、無言で伝十郎を見つめていた。
「ここに一人の男がいる。彼は幕府の要職に就き、彼の妹は大奥で男子を産んだ。その男子はまだ年端は行かないが思いやりがあり、政治にも通じていて、大御所はある子供を思いだした。その子供は何にでも秀でておりしかも驕らず、大御所は目に入れても痛くないほど可愛がった。だがある日、その子供が行方知れずになってしまい、大御所は嘆いた。その頃4歳だったのが先程の男子だ。大御所は嫡子である西之丸を若隠居にしてその男子を西之丸に入れようと考えた。大御所はそれを市田越前守に打ち明けたのだ。驚いたのは越前守。彼はその時、西之丸老中だったからな。つまり、西之丸が将軍を継いだならば、すべて己の手の内に入る、というわけだ」
「…………」
「が、しかし、その男子、今、10歳の松千代が将軍を継いだならば、越前守の地位は崩れ、松千代の母の兄、これが実は羽場外記なのだが、彼がその地位にくるに違いないと思った。今は西之丸がすでに将軍の座を継ぎ、その世嗣が跡継ぎとされているが松千代はまだ大御所の手元にいる。そんな時に四郎殿がひょっこり戻ってきた。そう、何も知らない、特に裏の世界のことなど知りもしないお主がな。越前守にしてみれば棚からぼた餅以上に、小判でも降ってきたと思っただろうぜ。そこで、一計を案じた。つまり、羽場外記が己の甥を将軍にするために画策しているということを、四郎殿に暴かせて邪魔者を一掃するというな。爺さんの話を聞いた時に、俺は胡散臭いものを感じていた。裏を探れば案の定だ。四郎殿も少しは感じていたのではないか。あ、いや、それは違うかもしれんな。お主は一度信頼した者をとことんまで信じるようだからな」
 四郎は伝十郎を無表情に見つめていた。
「四郎殿が江戸に近づくようなら始末せよ、という命が出ていたのだ。それは誰からだと思う?」
 伝十郎はフッと言葉を途切らせた。その顔に迷いが浮かぶ。
「お主を一番憎んでいる人物……」
「もう止めないか、伝十郎」
 突然、縁側から市田邦貞が入ってきた。
「いや、俺は気に入らないな。別に四郎殿のために本当のことを話すわけではないが、そう、誰のためでも良いが、四郎殿だけを除け者にすることはないだろう。堂々と渡り合うか、若しくは、全く関わらせなければいい。なあ、越前守?」
「伝十郎、何を言うんだ!」
「いや、早瀬殿、話を聞きたい。続けてくれないか」
「長信様、お止めください」
 邦貞が慌てて言ったのに、四郎が頭を巡らせる。
「吉信は……」
「は?」
 邦貞が目をぱちくりとさせて四郎を見下ろした。
「吉信は露姫を娶るのか?」
 四郎の目は邦貞のほうを向いていたが、遠く彼方を見つめているようだった。
「は? あ、露姫でございますか? はい、半月後に……」
 邦貞はハテ、という顔をして四郎を見返した。
「それが何か?」
 四郎は何も答えず伝十郎のほうを向く。
「早瀬殿、貴公と二人きりで話したい。爺い、もう会えぬかもしれぬが失礼する」
 そう言うと四郎はさっさと立ち上がった。
「早瀬殿、行こうか」
 伝十郎も立ち上がったが、すぐには四郎の後を追わずに平八郎のほうを見た。
「爺さん、俺を巻き込んだのはこのためか?」
 伝十郎はフンと笑ってそう言うと四郎を追った。
「爺い」
 邦貞が平八郎に目を移す。
「爺いは何故」
 と邦貞が言いかけるのを平八郎は目で止めた。
「殿、わしは別に何も答えることはないですな」
 そう言って平八郎はニコニコと笑った。
 邦貞は憮然とした表情で平八郎を見つめていた。



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