その日、平八郎の長屋には四郎と伝十郎がいた。 伝十郎は寝転がったまま四郎を見つめていた。四郎はその近くに座り、目を落としたまま無言であった。 この部屋の住人は主人について城中に上がっており、二人はその帰りを待っているのだ。 伝十郎は四郎から目を離さない。 才能があるというだけで、それが兄より優れていたというだけで、この男は城から逃げ出さなくてはならなかったのだ。 伝十郎は心の中でフン、と笑う。 (逃げ出さずとも、兄を踏み倒していけば良かったのだ) 伝十郎の心の中に一人の少年がいた。 優しげな微笑みを浮かべ、それがよく似合い、そして、その微笑みが彼そのものを現していた。それを伝十郎はよく知っていたから、少年に重荷を背負わせたくなかった。 重荷と望むわけではない関わり合いと、そんなものを少年は欲しくはなかったのだから。 彼が望んだものは、ほんのささやかな望みなのだ。 ふと、伝十郎の心の奥に、四郎に対する憎しみの芽が萌した。 (松平長信が出奔しなければ……) 「何か判ったのか、長信様?」 伝十郎が少し揶揄を含んだ調子で口を開くと、四郎はムッとした顔を向けてきた。 「お家騒動か」 ニヤッと笑って伝十郎が言った。 「早瀬殿、と言ったな、それはどういう意味だ?」 四郎が眉をひそめて言うのに、伝十郎は起き上がりながら、 「俺は爺さんが何故俺まで巻き込んだのかがよく判らない。俺を巻き込むことによって越前守の計画がご破算になるのが判っていたはずなのにな」 と言った。 「?」 四郎がきょとんとして口を開こうとした時、障子ががらりと開き、平八郎が入ってきた。 庭で虫の音が小さく響いている。 「おお、待たせたの」 と言いながら平八郎が座るのを待って、伝十郎は口を開いた。
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