燃え立つような紅にその庭の楓が映える。見事としか言いようがない庭師の腕であった。否、自然の美しさであった。その下に水面を湛えている池では緋鯉が時折同じ紅を乱す。だが、それはこの屋敷の庭の美しさを損なわせるものではない。それほどにあまりにも整った庭であった。 すっと庭に面した障子が開いて、その美しさを壊す。座敷に座っているのは、不精に髪や髭を伸ばし、埃まみれの着物姿の男。男の名は、槇原四郎と言った。四郎は再び障子を閉じ、庭はまた元の美しさを取り戻した。 昼下がり、その姿には不釣り合いなほど立派な座敷に座ったまま、四郎は目を閉じていた。この屋敷は四郎の家ではない。四郎は今日、江戸に戻ってきたばかりであった。 久々の江戸で、四郎は茶店に座ってぼうっとしていた。江戸に戻ってきたものの、元よりどこへ行くという目的があったわけではない。いや、目的があったから戻ってきたことは事実だが、さりとて、先を急ぐわけでもなかった。故に、これからどうしようかと、思案していたところだったのだ。 その思考を遮ったのは、目の前に立ち止まった女であった。四郎が顔を上げると、 「そなた、ついてまいれ」 と女はぞんざいな口をきいてくるりと背を向けた。奥女中といった感じのその女は見知った顔ではなかったし、その相手に、そんな口のきき方をされる覚えもなかった。四郎がついてきていないと気づいた女は、キッと振り向いた。 「そなた、聞こえぬのか? 我が主人が会いたいと申しておるのじゃ。さっさとあの駕籠に乗らぬか」 女は苛立ったように駕籠を指さした。自分が無視されるはずはないと信じ切っているその態度に、女の言う主人というのは、かなりの身分の者であることが判った。と言って、どうして四郎がそれに従わねばならぬのか。 そうは思ったが、四郎は立ち上がり、駕籠に乗った。 先を急ぐ旅ではない、というのが一つの理由。そして、何が起こるか判らない、そんな不思議な期待を持ってしまったのが、一つの理由。 この先何が起こるのか、四郎に判るはずはない。いや、四郎は判ろうとしていなかった。 四郎が江戸に戻ってくることによって何が起こるかということを……。 「私は……」 江戸に戻ってきたのだ、と四郎は心の中で呟いた。 やがて、駕籠の揺れが収まって、四郎はこの座敷に通されたのであった。
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