◇
男はグラスを見つめていた目をマスターに向けた。
「マスター……」
十年近くの付き合いだった。確かに素人とは思えないが、組織に関係しているようには見えなかった。
「愛していたんですよ、私はね、あの娘を。私の元を飛びだして、どんな世界に入ったのか、あなたに出会ってしまったのですから、ろくなことにはなっていなかったんですね。それでも、私は娘を愛していたんですよ」
マスターが男のグラスを取り上げると、中身を流しに捨てて綺麗に洗った。
男はキュッキュッという音を聞きながら、
「娘……だったのか」
と呟いた。その左手がゆっくりとカウンターに上がる。袖口から細身のナイフ。
いったん、カウンターの上に左腕が置かれて、瞬く間もなく、ナイフはマスターの首筋に刺さった。マスターの手からグラスが落ちる。床に砕け散るグラスの破片。
男は左手を音を立ててカウンターの上に落とした。
「どうして……すぐに去らなかった?」
マスターがカウンターに倒れる。その顔に笑みが浮かぶ。
「私の生き甲斐だったんですよ、あの娘は。どんな生き方をしていても、それでも生きてさえいてくれたら……私は…それで……」
そう言ってずるずると床にずり落ちた。
男は目の前の鉢に目を遣る。
「ああ、綺麗に緑と赤だ」
男が呟いて、そして目を閉じた。
誰が開けたのでもないバーの戸が開き、降りだした雪が吹き込む。男たちと、鉢植えに白く白く降り積もる。
「メリークリスマス」
男の声か、女の声か、クリスマス・カクタスの花がゆらりと揺れた。
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