「ジャン・ピエール、おはよう」 ミッシェルはベッドの中でごそごそしているジャン・ピエールの唇に軽くキスをした。 「今日もいいお天気。鳥たちもおはようって言ってるわ」 ジャン・ピエールは眩しげに瞼を開けて、ミッシェルを見た。逆光を受けてミッシェルの黒い髪が、栗色に見える。ミッシェルのアンバーの瞳がくるくると回った。 「さあ、起きて、さあ、楽しい一日が始まるわ」 窓の外をミッシェルは覗いて、あちこちに笑顔を振りまいていた。ジャン・ピエールはこの辺りの住民たちが、ミッシェルの朝の挨拶を楽しみにしているのだ、ということを、この間知ったばかりであった。 知り合ってから一緒に住むようになるまで、それほどの時間を必要としなかった。下町に住んでいるジャン・ピエールには、ミッシェルが自分のことを喋らないが、その上品な物腰から、中流以上の家庭で育ったことが判った。なのに、こんな下町での暮らしにいつの間にか慣れ、そしてその上品さはなくさずに、今に至っているのだ。最初は、回りの人たちも、すぐに出ていくだろうと踏んでいたが、今では彼女の笑顔を見るのが、日課のようになっているのだ。 「あなたのピアノが、私の心をくすぐったの。まるで、天使の羽でくすぐられたみたいに感じたのよ」 いつか、どうして自分と一緒にいるのか、とジャン・ピエールが聞いた時に、ミッシェルはそう言って笑った。 そう言えば、とジャン・ピエールは思いだした。ミッシェルがある時、小さな男の子の手を引いて家に戻ってきたことがあった。驚いた顔のジャン・ピエールに、ミッシェルは笑いながら、 「ジャン・ピエール、私の大事な大事な人よ。あなたと同じぐらい愛している人。さあ、ジョルジュ、ご挨拶なさい」 と男の子を促した。 「ジョルジュです。ジャン・ピエールさん」 男の子はそう言ってミッシェルのスカートの裾を掴んで、恥ずかしそうにした。 「ジョルジュか」 ジャン・ピエールはしゃがんでジョルジュの頭に手を乗せた。そしてミッシェルを見上げる。 「ミッシェル、君の子供なの?」 ミッシェルは笑って首を横に振った。ジャン・ピエールはジョルジュにちょっと笑ってみせて立ち上がる。ジョルジュのアンバーの瞳が、ミッシェルの瞳と一緒だと、ジャン・ピエールは後になって気づいた。 「ジャン・ピエール、弾いて」 ミッシェルがそう言って笑った。 「この子にあなたのピアノを聞かせてあげて」 ジャン・ピエールは笑って椅子に座った。ミッシェルがジョルジュを促して、近くの椅子に座らせる。 ジャン・ピエールは最初の八分音符を右手の人指し指で静かに叩いた。
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