そして、桂と柚木に時間が戻る。二人は握っていた手を慌てて離した。
「ご、ごめんなさい。私を、倒れたのを助けてくれたんですね。ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」
 何度も頭を下げる桂に、柚木は困ったように頭を下げた。
「そんなにしなくてもいいよ。それに、こんなきっかけが出来たことが、偶然でも嬉しくて」
 え? と桂は顔を上げた。柚木が照れたように目を逸らした。
「君が入学してきてからずっと気になっていた。今日、ここに来たのも、半分尾けてきたようなものなんだ。だから、えっと……」
 柚木は桂に目を合わせて、
「僕は、君が、好きです」
 と一言一言ゆっくりと言うと、近くに置いていた鞄を手に取って、走るように出ていった。桂はぼーっとしていた。店のほうにいた沙月が入ってきたのも気づかないように。
「桂? どーしたの?」
 沙月が桂の目の前で手をひらひらとさせて、やっと桂はハッと沙月のほうを見た。
「あ、ぼーっとしちゃった」
 沙月がツンツンと桂の制服を引っ張った。うん? と桂は首を傾げた。ニッと笑って沙月が桂の頭を小突く。
「聞いちゃったよーん。桂ったら、いつの間に深草先輩とそんな仲になっちゃったの。うーん、しかし、深草先輩の好みが桂とは、いやー、驚きだね」
 桂は頬を染めた。
「沙月、会ったのは、今日が初めてだって。私は知らなかったもの。沙月は知ってるの?」
 沙月が呆れたように桂を見た。
「やあねえ。うちの高校で一番有望株なのに。ホント、桂ったらそんな情報に疎いんだから」
 そう言って沙月が笑った。
「うん、でもね、桂」
 沙月が桂をじーっと見つめた。
「でもね、私、感じちゃったんだ。こんなこと言って、変かもしれないけどね。二人を見てたら、幸せな気分になったの。まるで、二人が一緒にいるのが当たり前で、二人を包む、何か優しい空気が、あれがオーラってのかな、そんなものを感じたの」
「沙月……」
 沙月が後ろ手に隠していたもので、ポンと桂の頭を小突く。そして、はい、と渡した。
「え、何?」
「十六歳、おめでとう、桂」
 沙月の言葉に、幼い頃の記憶が甦る。そして、ポロポロと涙を零す桂であった。
「や、やだな、桂。泣くほど嬉しかった?」
「沙月、うん、嬉しいんだけど、でも、そうじゃなくって、おじいちゃまのことを、思いだしちゃって……ごめんね」
「あ、桂のお祖父様、一月前に亡くなったんだよね」
「昔ね、おじいちゃまが言ったの。十六歳の誕生日にプレゼントをあげようって。毎年のようにいろんなものを貰ったから、そんな約束を忘れていたの。おじいちゃまが亡くなった時も、その約束を忘れていたわ」
 桂は涙を拭った。
「今日の出来事のすべてが、おじいちゃまのプレゼントだったって思ってもいいかな」
 沙月が桂の頭をポンポンと叩く。
「そうだよ。桂のお祖父様は、約束を守ったんだよ」
 沙月と桂は店のほうへと出た。
「どうも、すみませんでした」
 沙月が頭を下げて、慌てて桂も頭を下げた。店の主人が手に持っていた包みを桂に渡した。
「これは?」
「家に帰ってから開けてご覧。これはあなたのためのものだから」
 不思議な言葉を言って主人は他の客の相手をしてしまった。
「あ、ありがとうございます」
 桂は沙月から貰った包みと一緒に、鞄の中へ入れる。そしてもう一度、挨拶をして、二人は店の外へと出ていった。
「じゃあ、私、そろそろ塾の時間だから」
 沙月がそう言って、じゃあね、と手を振った。
「あ、沙月、時間かかってごめんね」
 桂が手を振りながら言った。
「いーの、いーの。それより、ちゃんと返事をするんだよ、この幸せ者!」
 沙月が笑って去っていった。桂が少しの間、見送って、そして家に帰ろうと足を踏みだす。その足をふと、止めた。そして回りを見る。確かにいつもの町の風景だ。見覚えのあるビルや、店の看板、道路標識。そこは、いつものように、雑貨屋の店先だった。桂たちが今まで入ったはずのお香の店は、どこにもなかった。
「夢……じゃないよね」
 店の主人から貰った包みは、確かにそこにある。沙月から貰った包みも、同じようにあった。沙月から貰ったプレゼントの中身は判らないが、もう一つの包みの中身は、開けずとも判る。そして、返事も決まっている。桂は心の中で微笑んで、家路についた。


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