桂の近くに置いてあった鞄から、その時ふわっと白いものが抜け出た。そして二人の握っている手をそっと包むように、小さな手をかざした。
「月夜」
 と呼ばれて、驚いた顔を桂に向ける。そして一瞬言葉を失って、そして、
「桂子様……なのですか」
 と言った。
「悪いことだとは思っても、今だけ、桂の体を借りました。どうしても会いたかったから。この方にも、そしてお前にも、月影にも」
「やはり、会えると思っていた」
 少年の口からもそんな言葉が出る。月夜ははらはらと涙を零した。
「月夜、もう私たちは行かなければ。彼らの時をこれ以上使ってはいけないわ」
「桂子様、当代の桐生の姫君の封印を成されたのは、やはり桂子様だったのですか。若君が言った通りに……」
 桂の中にいる桂子が少し笑った。
「確かに桂は私に次ぐほどの力を持って生まれてきて、それなのに、お前たちが見えないのを蓮は訝ったのでしょうね。私のことは桐生には代々受け継がれていましたから、だから、私のせいだと思ってもおかしくはありません。でも、私は桂の力を封印してはいないのですよ。そして彼女がそれを望んでいたからでもありません。桂にお前たちが見えないことで、お前たちが何か不都合でもありましたか」
 そっと月夜は首を振った。
「桂の心の中に、お前たちを大事にしたいという気持ちがあり、それがお前たちに伝わるならば、姿の見える見えないは、問題ないのではありませんか。そうでしょう。桂にそれが必要ならば、それは自然に出てくるでしょうから」
 そう言って少年のほうを向く。少年の中のお上が微笑んだ。
「では、私は行こう」
 その言葉が終わらないうちに、月夜はお上が消えたことに気づいた。
「桂子様」
 慌てて月夜は言った。
「麗景殿の女御様のところへ戻られたのですわ。いえ、梅の中宮様でしたね。さあ、私もお前と別れなければなりません。月夜、桂にもこの柚木にも私たちの記憶はありません。私たちが借りていた時の記憶もありません。いくら、私たちがそれを望んでいたから、と言って、彼らに私たちの意思が伝わることはありません」
 月夜は目を見張った。
「それでは……」
 桂の中にいる桂子が、自分に向ける優しい微笑みを月夜は感じた。
「蓮の約束でしょう。今日は桂の十六歳の誕生日。これはそのきっかけにしか過ぎません。桐生はいつでもお前たちの守護者であり、その名を捨てることはありません。たとえ、その名が廃れようとも、私たちは桐生であり続けるのです」
 すうっと桂子が桂から抜け出た。
「月夜、もし、お前が望むのならば……」
 と桂子は月夜に手を差し出した。月夜は少しだけ考えて、首を振った。
「いいえ、私は桐生の姫君とともに」
 月夜の答に桂子は微笑んだ。
「じゃあ、本当にお別れですね、月夜」
「桂子様」
 桂子は桂の頭にそっと触れて、そしてすうっと消えていった。


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