頓原たちは着々と奈半利に近づいていた。最初に異常に気づいたのは、やはり頓原であった。
「霧……」
 この時期に霧が現れることはない。つまり、奈半利がいるのだ。
「みんな、離れるなよ」
 三人はお互いに相手を確認した。側にみないる。はぐれないように進めばよかった。
 八雲が見たのは、頓原であった。少し前にこちらを向いて立っている。いつの間にそんなところに行ったのか、と八雲は近寄ろうとした。そして、とっさに結界を張る。
「頓原、俺だよ、八雲だ」
 頓原は八雲に気づかないように、八雲を攻撃する。
「幻覚?」
 八雲はそれに気づいた。頓原自身が幻覚なのか、頓原が幻覚を見せられているのか。このままでは、いつまでも結界が持たない。頓原に攻撃されたら、八雲は防ぎようがないではないか。結界の中で、八雲は若草色の《気》を高める。それは一発勝負なのだ。八雲の《気》が頂点に達した。
 頓原が見たのは、船通であった。少し前にこちらを向いて立っている。いつの間にそんなところに行ったのか、と頓原は訝しんだ。今の今まで隣にいたではないか。
「船通、離れるな」
 頓原がそう言って船通と目を合わせた。船通の眼鏡がない。船通の深滅紫の瞳が、頓原の瞳を直視する。
(奴は船通ではない)
 脱力感を感じながら、頓原は思った。深滅紫の瞳はそれを見たものを惑わす。船通の体が青丹の靄に包まれていた。頓原の体がぎこちない動きになった。普段では船通は頓原の敵ではない。だが、この状態で頓原は避けきれない。船通の《気》が頂点に達した。
 そして、船通が会ったのは、奈半利であった。八坂、八浜が船通の前に突然現れる。すでに薔薇色の《気》が頂点に達していた。
「船通、まずはその瞳を頂くわ。素敵な深滅紫らしいけど、生気のある間は見つめられないなんて残念ね」
 八浜がそう言って笑った。お互いを触媒として高めた二人の薔薇色の《気》は、船通の瞳を直撃した。船通が思わず目を押さえる。開けられなかった。血が流れているのに気づく。
「五真将など、その程度でよく名乗れたものだ」
 これを言ったのは八坂。船通の頬がピクリと動いた。
「そうよね。船通、お前の武器はもうない。私たち二人の敵ではない」
 船通が肩を震わせた。笑っている。それに八坂たちはギョッとした。狂ったのではないか。あまりの衝撃に?
「名を聞いていませんでしたね、確か。私の名は知っていらっしゃるようですが、私は出雲の船通。あなた方は誰ですか」
 目から血を流しながら、船通は二人のほうを向いた。当然瞳は閉じられている。
「私は八坂、そして、妹の八浜だ」
 八坂がいちおうの礼儀を取って言った。船通の口元がフッと笑う。
「では、八坂に八浜。あなた方は私が始末します」
 船通は胸ポケットから自分の《気》と同じ色の青丹のハンカチを取り出した。それで器用に鳥を折る。八坂と八浜はしばし呆気に取られていたが、八浜が声高に笑った。
「馬鹿なことを……。あなたに私たちが始末できるわけはないじゃない。ようく、事態を把握したらどうなのかしら」
 呆れたように八浜は言った。八坂は黙っている。何か、違う。船通は何故か変わっている。さっきよりも、何かが違う。
「八浜、奴は違うぞ」
 八坂の忠告を八浜は鼻で笑った。
「何が違うって? 八坂、所詮口だけよ」
(いや、違う)
 八坂は心の中で叫んだ。船通の青丹のハンカチで作った鳥が、ふわっと飛び上がった。船通の青丹の《気》で包まれて、優雅に羽ばたきながら八坂たちに近づいていた。
「こんなもの、私一人で充分よ」
 八浜が一人で薔薇色の《気》を高める。嫌な予感がして、八坂は止めようとした。八浜の鳥に向かって飛ばした彼女の《気》は、鳥が開けた口に吸い込まれた。鳥を包んでいる青丹の靄に、薔薇色が混ざった。
「何?」
 八浜の顔色が変わる。
「その鳥の好物は、自分に向けられた悪意の《気》。それが大きければ大きいほど、喜んで食べるのです。大き過ぎれば、もちろん食べられませんが、それでもいいわけですよ。ある程度の時間稼ぎにはなりますからね」
 船通が言う。
「なるほど。この鳥には攻撃出来ないってわけ。つまり、あんたのほうは無防備、ってことね、船通」
 八浜が瞬時に放つ薔薇色をした《気》が、船通を襲う。八浜の顔に笑いが浮かんでいた。その顔が徐々に苦しみに変わる。チリリと鈴の音が小さく響いた。
「忘れていたんですか。あなた方は一人では《力》など知れたもの。そして、私は出雲五真将の一人。五真将を名乗っているのは、伊達ではありません」
 そう言って船通がスッと腕を抜いた。また、チリと鈴の音が響いた。八浜の胸を貫いたのは、船通の腕。八坂は八浜の胸に空いた穴を見つめていた。
「それに関してはあなた方にお礼を言わなければならないでしょうね。本当の意味で五真将を名乗れるようになったのは、私の深滅紫の目が潰れたからなのですから」
 呆然と立ち尽くす八坂の腕に、八浜が倒れ込んだ。八坂がしっかりと八浜を抱き締める。その頭に船通の鳥が羽を休めた。
「八坂、二人一緒にいつまでも一緒にいなさい」
 船通がその指先の鈴を鳴らす。チリチリと小さく鈴は鳴った。
「うわっ」
 と声にならない声を出して、八坂は八浜をギュッと強く抱いた。鳥の口から出たものが、二人を包む。鳥の形が崩れ、二人の形が崩れ、陽炎のように揺らめいて、すべて消えてしまった。ふううっと船通は息を落として、ついでに膝も落とした。
 光が爆発したように輝いたのは、その時であった。
 霧が晴れる。迷宮が壊れた。

←戻る続く→