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そして、御荘と松前が出雲五真将と会ったのが、その頃であった。
五真将たちは、先頭から、仁多、斐川、船通、八雲、頓原の順で黙々と歩いていた。涼しい夜のうちになるべく近づいておこうという計画であった。
一番最初に異常を感じたのは、頓原であった。そして、一番最初に動けなくなったのも頓原であった。
「来る」
と言った後、頓原はいきなり動きを止めた。すぐ前を歩いていた八雲が振り返って、慌てて頓原の腕を掴んだ。他の三人は頓原の異常を気づけなかった。鋭いピシッピシッという音をさせて、葉が降ってきたのだ。降ってきただけならいいが、それは危険な武器であった。動けない頓原を、八雲は自分の結界で守った。癒しの《力》しかない八雲だが、結界の強さは、他に類を見ないほど強かった。二人を守ることなど、八雲にとってたやすいことであった。だが、頓原が攻撃出来ないとなると、持久戦では不安である。いくら結界が強くとも、八雲の《力》は無限ではない。消耗していく《力》を、自分では癒せない。仁多の体が桑染の《気》で包まれる。それが竜巻のように舞い上がって、飛んでくる葉を吹き飛ばした。仁多たち三人は、背中合わせで敵の姿を捉えようとしていた。
ボウッとした鴇色と珊瑚色のボールがあちこちから飛来してきて、三人はそれぞれの方向に避けた。それを頓原は動けない体で八雲の結界に守られたまま、ただ見つめるだけしか出来なかった。その戦い方ではまずい、と頓原は教えたかった。だが声も出ない。それが何故なのか、頓原には理由が判らなかった。頓原には、奈半利の二人の姿がどこにあるのか見えていた。それなのに、それを教えることが出来ないのか。
「頓原」
八雲が頓原の腕をギュッと握ったまま見上げている。その視線を感じながら、頓原はそれに目を合わすことさえ出来なかった。
「あ!」
八雲が結界の外を見て、思わず口を押さえる。船通と斐川が珊瑚色の紐でぐるぐる巻きにされ、仁多は腹から血を流して、やっとの思いで立っていた。その前に現れたのは、
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。私は御荘。連れは松前という」
御荘であった。松前は姿を現していない。仁多は黙っていたわけではなく、言葉を発するのも辛かったのだ。御荘はその姿を見つめて、右手に鴇色の光を発っさせた。御荘は頓原のほうを見向きもしない。光が形を作り、それはクの字をしたブーメランになった。
「確か、五真将の仁多だったな。最初に始末してやろう。安心しろ。連れはたくさんいる」
御荘がにこりともせずに、軽くブーメランを放つ。辛うじて仁多は避けたが、それが精一杯であった。戻ってきたブーメランは、仁多の首筋をかすめて御荘の手に戻った。手の中でブーメランは形を崩し、ただの光の玉になってやがて消えた。頓原の瞳に、仁多の首筋から吹き出る血が映っていた。仁多がそれを押さえようともせず、両手を合わせた。その中に桑染の《気》が高まる。御荘はそれをただ見つめている。ともすれば薄れそうになる《気》を仁多は必死に高めて、御荘に投げつけた。そのまま仁多はドウッと倒れる。仁多の最後の攻撃は、御荘の左手の手のひらで力なく弾けて消えた。
「仁多様……」
八雲が苦しげに呟く。ふと、頓原の腕が僅かに動いたような気がして、八雲は頓原を見上げた。そして、頓原の首筋に赤い斑点があることに気づいた。八雲は背伸びして、頓原と目を合わす。二人の目が合った。
御荘は松前の珊瑚色の紐でぐるぐる巻きにされている船通と斐川のほうを向いた。船通の深滅紫の瞳が御荘とぶつかる。黒いサングラス越しの御荘の瞳に、船通の眼力は届かなかった。少し顔色を変えた船通の目の端にちらりと松前の姿が映る。船通は松前と目を合わせた。
「斐川」
船通が低く呟く。斐川の反応は早かった。浅緑のいきなり発生した斐川の《気》が、船通と二人を包んで消え去った。木の陰から松前が少しふらついて出てきた。船通の深滅紫の瞳を直視した松前は、それにひるんだため、自分の《気》が弱まった。それで斐川が紐を引きちぎったのだ。
「愚か者」
御荘が松前をチラリと睨んで呟く。松前は船通の深滅紫の瞳にあてられたが、完全に操られたわけではなかった。彼女にもある眼力が、船通の深滅紫の瞳の威力を殺ぐことになったのだ。
「船通、その瞳の威力、確かに見せていただきましたわ。でも、もうその手は食いませんわよ」
にっこり笑って、松前は言った。
「私は祖谷のように、お馬鹿さんではありませんからね」
無邪気に笑って、松前は付け加えた。その右手からすうっと珊瑚色の紐が伸びる。松前が手首をひねると、その紐は唸って地面を削った。珊瑚色の美しい鞭であった。
「御荘、私に船通を任せていただきますわね」
御荘は無言で斐川のほうを向いた。斐川の左手には小さな鈴が握られていた。チリチリと鈴が鳴る。御荘の頭の中にそれが響いた。斐川の浅緑の《気》が強くなるのに従って、御荘の頭の中で響く鈴の音も大きくなった。御荘の右手から鴇色のブーメランが斐川に向かって放たれる。
「船通、その深滅紫の瞳に咲く薔薇は、さぞ美しいでしょうね。その瞳ごと、私の物にさせていただきますわ」
珊瑚色の鞭を鳴らしながら、松前はうっとりとして言った。
「薔薇は確かに美しいが、私の瞳も美しい。だが、それは私の瞳だからだ。肉体を離れてしまったら、その美は意味をなさない」
船通は真顔でそう言った。
御荘のブーメランは、斐川をかすりもせずに御荘の手元に戻った。斐川が避けたのではなく、御荘の手元が狂った、ということであった。斐川がクスリと笑う。
「ごめんなさいね。もうあなたは私を攻撃することが出来ない。御荘、この鈴の音は、あなたから離れることはない」
斐川の回りに現れたたくさんの浅緑の光が、それぞれ短剣に姿を変えた。斐川が軽く右手を振る。短剣は狙い定めて、御荘に突き刺さった。ガクッと膝を折る御荘の姿を斐川は見つめながら、ふと何かおかしいことに気づいた。何かが足りない、何かが。ハッと後ろを向く斐川の目の端に、鴇色が映った。
「ブーメラン…」
御荘がいつの間にかそれを離していたのを、斐川は気づかなかった。仁多と同じように首筋から血が吹き出る。御荘も倒れている。斐川はそれを確認して倒れ伏した。
「御荘」
松前は二人の戦いが、相討ちで終わったことを見届けていた。
「私は負けませんわよ。私には奥の手がありますからね」
松前がにっこりと笑った。
「奥の手って、それは、俺のことかな」
のほほんとした声が、この戦場に似つかわしくない。こんなところで、そんなことを言えるのは一人しかいなかった。愕然として松前が、そちらを見る。その隙を船通が見逃すはずはなかった。ふわっと船通から立ちのぼった青丹の《気》は、松前を包み込んだ。冷たい炎が松前を焼く。松前が自分の珊瑚色の《気》を高めて、それを防ごうとしていたが無駄であった。その目の前に、ポン、と何かが投げられた。松前が思わずそれを見る。
「まさか、これほど深いところに植えられていたとは、考えもしなかったよ。俺のところで飼っておくのには飽きたから返すよ、ねえ、松前おばさん」
頓原がにこにこ笑いながらそう言った。松前の目の前に、薔薇の球根が無残に潰された状態で落ちていた。それが白緑の炎で燃える。
「五真将の頓原が、こうまで馬鹿にされたとあっては、気がすまない。松前、お前は俺が始末する」
その言葉に反応するように、船通の青丹の炎が消え去って、頓原の白緑の剣が松前の脳天から足先まで振り下ろされた。八雲が思わず顔を背ける。松前の体は、真っ二つに割れてドオッと倒れた。そして瞬く間に白緑の炎に焼き尽くされた。頓原がガクッと膝をつく。船通はそこで始めて、頓原の首筋から血が流れ出ていることに気づいた。
「頓原、いったい……」
船通の問い掛けにも、八雲が止めるのも無視して、頓原は立ち上がって斐川の側に駆け寄った。
「斐川」
斐川が薄目を開けて口を開いた。かすれた声であった。
「何、哀しそうな顔してんのよ。あんたは、頓原でしょ。頓原だったら、そんな顔は絶対にしないわ。傲慢で、何もかも一人ですませようとして、一人で出来るはずないのに、誰にも相談しないで、たった一人で危ない目にあって、それも、すべて優しいからなのよね。私の好きな頓原は、何もかもすべて背負っていこうとして、すべて、指の間から零れ落としているんだわ。判っていたのに。越知をあんな風に殺したのも、潜戸を彼に殺されたからなのよね。それを判っていたのに、私は……。あんたは優し過ぎるから、だから、必死になっているから、だから……。だから、いつも苦しんでいて……。でも、決して誰にも何にも言わない。口に出せば、少しは楽になるのに。こんな私だって、何の支えにもならないけど、でも、聞くぐらいは出来たわよ。なのに、いつも……」
「斐川」
「あんたは頓原じゃないわ。頓原は、そんな顔をしないもの。頓原は頓原だから、私は好きになった。だからいつも追いかけていたの。決して振り向いてくれないと判っていたけど、だから余計に愛せたのよ。あんたにはこの気持ちが判らないでしょうけどね。でも、私はそれでもよかった……。そんな頓原だったから、私はこの気持ちを持ち続けられた」
斐川は瞳を閉じた。頓原はその側で動かなかった。その脳裏に、在りし日の斐川の姿が浮かぶ。
『何を考えているわけ。いつも自分一人で何もかも抱え込んで、何故、頼ってくれないのよ。そんなに私たちはあなたにとって役立たずなの?』
『いつか、しっぺ返しを受けるわ、きっと』
(これが、しっぺ返しか)
仁多と斐川をみすみす殺されたのは、自分が動けなかったからだ。以前捕まった時に植えつけられた薔薇の球根が、逃げだした時にえぐり取った一つだけではなかったのだ。残った一つは出番を待ちつつ、頓原の首筋の中で沈黙していた。それが奈半利にとって、計画通りに動きだした、というわけなのだ。
捕まったのも頓原のミス。今回のことも、頓原のミス。みんなを守るつもりが、自分のミスで守ることが出来なかった。それが頓原を責めていた。すべて一人で出来ると考えて、人を頼ることをしなかった。人に頼られるのも嫌だし、人を頼ることも好きではなかった。自分にはそれだけの《力》があるし(それは本当のことだったけど)、何でも出来るはずだった。それはすべて出雲のため、宍道のためであった。そして出雲だけでなく、伊勢や戸隠さえも守りきれるつもりだった。朝熊は頓原を正しく理解していたのだ。三つの一族のことを、もっとも愛しているのが頓原なのだ。
「頓原、早く治療をしなければ、あなたのほうがもたない」
八雲が後ろから声を掛ける。船通も心配そうにその側にいた。
「ああ」
と頓原は始めてそれに気づいたようであった。八雲に笑いかけて、途端に倒れ込んだ。
「頓原」
慌てて八雲と船通が抱え上げて近くの木の側まで運び、八雲の若草の癒しの《力》が、頓原を包んだ。
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