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物部の前に、崇が連れてこられた。物部が崇の額をポンとつつく。
「あ」
と崇は声が出ることに驚いた。あまりにもたくさんのことが言いたくて、それが整理出来なくて、崇は思わず、
「お腹、空いているんだけど」
と口に出してしまった。一瞬、静寂が辺りを支配する。
「あ、いや、違う。僕を誘拐しても、身代金は取れないぞ。陬生学園には通っているけど、僕の父は公務員だから、僕は特待生だし、遺産とかもないし」
崇は慌ててその誘拐犯の親玉らしき物部に対して喋り始めた。物部がクックッと笑う。
「安心しろ、身代金目当てではない。お前の体が目当てなのだ。腹が減っているのか。八浜、何か持ってこい」
「あ、それは、単なる言い間違いで、あ、じゃなくて、お腹は空いているけど。あー、そうじゃなくって、僕の体が目当てって、あの、あなたが?」
崇の反応が面白くて、物部はまじまじと相手を見つめていた。
「そうだ」
と物部が真面目な顔で言う。ギョッとしたように、崇が一歩下がる。
「あ、僕は、ノーマルだし、僕は男だから、やっぱり、女の子のほうが好きだし、そういう人がいるのは、別に構わないけど、でも、僕がそうなるというのは、やっぱり許せないし、あなたの趣味をとやかく言うつもりはないけど、でも、僕は、あなたにそれを強要されるのは許せないし、力ずくでは負けるかもしれないけど、痛いのは嫌だし、死んだほうがましかもしれないけど、でも、死ぬのは嫌だし」
物部が理由が判らないという顔で、崇を見ていた。その目を八坂に向けて、
「八坂、これは何を言っているんだ」
と問うた。八坂が首をひねる。
「さあ、僕にも判りません」
崇が二人を交互に見る。そして、八坂に向かって少し声を低くして、
「だって、僕の体目当て、ってことは、この人は要するに、えっと、男が好きなんでしょ」
と言った。物部はへっという顔をしていた。八坂は口元を歪める。笑いに。ゴホンと咳払いでそれを消して、
「物部様、布城崇は彼の体目当てというのを、思い違いしているだけです」
と八坂は言った。物部が大きな声で笑った。今度は崇がきょとんとしている。
「布城崇、私にはその趣味はない。安心しろ」
物部の言葉に、崇はホッとした。がすぐに、
「ちょっと待て。それに安心してそうですか、と言えるわけはないだろ。僕を誘拐したのは、立派な犯罪だぞ」
と怒鳴った。ガチャッとドアが開いて、八浜がお盆を持ってきた。
「腹が減ってたら怒りやすくなる。遅い晩飯を食え」
物部が優しく言う。崇は目の前の食事を見つめた。確かに腹は減っている。それに、危害を加える気はなさそうだ。殺すのならば今までに充分機会があった。殺すつもりはないのだから、食事に毒を入れていることもないだろう。ここはおとなしくしておいたほうが、後々便利かもしれない。崇はそう判断した。
「いただきます」
両手を合わせて、崇は言った。こんな時にも習慣は消えないものだと、後でおかしくなった。崇が満腹になる頃、彼は眠りに落ちていた。
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