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宮崎空港に東京発のANA機が到着したのは定刻であった。まだ克雅と宍道は出会っていない頃であった。手荷物預かりにしていない朝霞たちは、さっさと到着出口へと急いだ。その後を見失わないように御荘と松前が追っている。
「そう言えば聞いていませんでしたけど、空港からどうなさるのですの」
遙がいまさら思いついたのがおかしいわね、と笑いながら言った。朝霞がにっこりと笑う。
「車を使いますよ。そのほうが便利ですからね」
「まあ、そうでしたの」
と遙が納得の表情をして途端、すぐに表情を変えた。
「会長、お年、ごまかしていませんよね」
「は?」
と朝霞がきょとんとした顔で遙を見た。
「だって、会長は16歳、麻績さんは17歳。とても車の免許を持っています、と断言出来る年齢ではないと思うのですが。それに、私は免許を持っていませんし……」
朝霞がクスクスと笑った。
「ああ、すみません。柚木野さん、ご心配にはおよびません。確かにみんな免許を持っていませんが、別に無免許運転をしようとしているのではありませんよ。車ごと運転手を雇っていますから」
そう言って、朝霞は出口の向こうの一人の男を指さした。指された男は、軽く頭を下げる。
「牟礼、と言います。僕のお目付役ですけど、運転技術は一流です。普段は他の者が運転しているんですが、ま、大丈夫でしょう」
遙が妙な表情で、朝霞を見上げた。
「そう言えば、会長って、謎ですよね」
「そうそう、謎な奴は放っておいて、行きましょうか、遙」
一人黙っていた麻績が、遙の手を取って出口へと向かった。朝霞は自然に持たされた荷物をよいしょ、と抱え上げて二人を追った。出口の外にいた牟礼は、朝霞から荷物を受け取ると、
「こちらです」
と三人を先導した。
「牟礼、山道を走るって言っておいたよな」
朝霞が思い出したように言う。
「判っています。それに適した車を用意しました。細い道を行かれるかもしれない、ということで、あまり大きくならないようにしましたので。少しではありますが、食事の用意もしておりますので、どうぞ、中にあるものはご自由にお使いになってください」
牟礼が振り向いてそう言った。朝霞が面白そうにそれを見つめる。
「牟礼、今日はものすっごく殊勝じゃないか。何があったのかな」
牟礼は無表情に朝霞を見つめる。
「ま、いいか。牟礼、地図は頭に入っているな。じゃ、まず始めに尾鈴山瀑布群に向かってくれ。レディがいらっしゃるから、運転は慎重にな」
朝霞が遙に向かってそう言って笑った。遙が、
「よろしくお願いしますね、牟礼さん。私は柚木野遙と申します」
と言って、牟礼に頭を下げた。牟礼がハッと気づいて、
「頭を下げるにはおよびません。これは私の仕事ですから」
と言った。
「麻績は初対面じゃないよな。では、行っていただきましょうか、運転手さん」
朝霞がぺこりと頭を下げて、車に乗り込んだ。
尾鈴山瀑布群は、宮崎市と延岡市とのほぼ真ん中にある名勝地であった。火曜日までは、どのようにしてでも、高千穂(つまり奈半利)には遙を入れさせないことが、朝霞たちの目的であった。だから、あちこちの名勝地を回るつもりなのだ。
「滝って、静かですよね」
遙が呟く。遙を挟むようにして、朝霞と麻績が立っていた。遙の言葉を聞き咎めて、麻績が遙を見つめる。
「滝って、静かですよね」
再び遙が言った。麻績も朝霞も不審気な顔つきをしている。滝壺近くに立っている三人にとって、どう考えても滝が静かには思えない。遙が目を閉じて、
「喧騒の中の静寂ですわ」
そう呟いてその後は何も言わなかった。二人は流れ落ちる滝を見つめながら、遙の言葉の意味を考え続けていた。
遥はあれから朝霞たちに何も問わなかった。そして当たり前のように二人が一緒にいることにも、何も言わなかった。あれ以上何を問われても、二人には答えることが出来なかったし、遥を一人にすることも認めるわけにはいかなかったのも事実ではあったが。遙が動くまで、あとの二人はじっと待っていた。遙がやがて踵を返す。二人は黙ってそれに従っていった。
「朝霞様」
車の外で待っていた牟礼が、朝霞に気づいて携帯電話を渡す。誰から、とは言わなかった。ここにかけてくるのは一人しかいなかったから。
「朝霞です」
『出雲五真将には、伝えておいた。わしは、出雲の王とともに動く。神室の車だ。知っているな』
「はい。助かりました。それでは、あなたに連絡すれば、五真将たちには連絡出来る、と言うことですね」
『まあ、邪魔が入らないかぎりはな。それから、五真将の中の元気な坊やから伝言があった。言うぞ。俺もお互い様で、お前たちのことは気に食わないけどな、だが、信頼するに足る奴だと少しだけ思っているぞ、と言うことだ』
朝霞が声を出さずに笑う。
「頓原ですね。奴らしい」
『気に入ったな、朝霞。機会があれば、伝言も出来るかも知れぬ。何かあるか』
朝霞が前髪を掻き上げた。
「そうですね。僕もお前には期待してるぞってなことを、覚えていらっしゃったら、伝えておいてください。いえ、すみません。何も言わないでください。そのほうがいいと思いますから」
『判った』
電話の向こうの克雅が少し笑ったようであった。
『それから、延岡から高千穂のほうに少し行ったところに、行縢神社というのがある。そこは、出雲の王の結界で守られている。何かあったらそこを利用するといい』
「判りました。行縢神社ですね」
朝霞は差し出された地図を確認して言った。
『朝霞』
「はい」
朝霞は克雅の次の言葉を待った。だが、何も聞こえてこなかった。プツリと切れた受話器を、朝霞は少しの間見つめて、牟礼に返した。克雅がこちらに来ていることを驚けなかったのは、彼が来ることを期待していたからであろうか。いったい、克雅は何のためにやってきたのか。朝霞は首を振ってその考えを頭から消し去った。
この日、この時間、朝霞たちは尾鈴山瀑布群にいて、克雅たちは行縢神社にいた。出雲五真将たちは熊本県内だし、伊勢から名古屋に出て、新幹線、特急を乗り継いでくる倭たちは、まだ大分県内であった。
朝霞たちを尾けていた御荘たちは、尾鈴山瀑布群に向かった車を追わずに、まっすぐに奈半利に向かっていた。この二人もまだ、奈半利にはいなかった。そして、崇を乗せた車も、奈半利の手前である。
つまり、未だ誰も奈半利には入り込んでいなかったのである。
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