「柚木野さん、あなたはごく普通の家庭に生まれ、普通の人間として生きています。そのような方に、僕たちの話を信じてもらおう、というのが間違いなのですね」
 遙がきょとん、とした顔で、朝霞を見た。麻績は気忙しそうに朝霞を見つめる。
「高千穂に神々の伝説がある、と、さきほどおっしゃっていたでしょう。僕たちの話はそれに関連しているのです」
 遙がまじまじと朝霞を見つめる。
「神々?」
「ええ、日本神話として伝えられている話は、正しく伝わっているところもありますが、全く間違って伝えられたり、あるいは、故意に伝えられていなかったりしています」
「私は神話の信憑性自体を疑うこともありますもの」
 遙の言葉に、朝霞が薄く笑った。
「確かにその通りですね。ですが、神々がいたことは真実です。そして、神々に人間にはない《力》があったことも事実。そして、神々の中の三神が人間の中の三人の王祖に、その《力》の一部を与えたことも真実なのです。この日本という国が四十七都道府県として成立していると、学校で習いますね。ですが、その他にいくつかの王国が存在するのです。それを知っているのは、その王国の住人だけでしょう。この日本という国の表には、絶対に現れないのですから。そしてさきほど言った三人の王祖、というのは、この王国の王祖のことなのです。伊勢、出雲そして、戸隠がその王国の名前です。そして僕たちは戸隠の一族なのです。朝熊と倭姫は伊勢の一族、たまに一緒にいた頓原は出雲の一族です。その王国の経緯については、今は詳しく話すことは出来ませんが、柚木野さんを狙っているのは、この三つの王国から出た離反者で作られた奈半利という一族です。そして、奈半利の一族の拠点が、高千穂ということなのです」
 遙が眉をひそめて、朝霞と麻績を見た。その表情を見て、朝霞は遙に信じさせることが出来なかったことを知った。それも当たり前であろう。自分が遙だったとして、これぐらいの説明で信じるわけはない。
「柚木野さん、信じられないのは無理もないことです。僕もこれだけの説明で信じて欲しいとは思っていませんから。ですが、これは真実であり、あなたを奈半利が狙っていることは確かなのです」
 遙はふうっと溜め息をついた。
「その奈半利は、私を一生狙い続ける、ということですか」
「奈半利が消滅するか、あるいは、柚木野さんを狙う必要がなくなるか。その二つのどちらかになれば、それは終わると思います」
「私を狙う必要がなくなる、というのは、何ですか」
「つまり、崇が目覚めることです。あるいは、崇が死亡するか。奈半利の目的は、崇の目覚めです。そのために、柚木野さんが必要なのです。崇が柚木野さんに会うことによって、目覚めることが出来るのですから」
「崇…というのは、布城崇くんのことですね。彼の目覚めとは何ですか」
「遙、それは、僕たちにも判らないのです」
 一人黙っていた麻績が口を開いた。必然的に遙の視線が麻績に向かう。
「麻績さん、私にはまだ理解出来ませんわ。でも、私が高千穂に行くことを、それほどに望んでいないのは、もしかしたら、布城崇くんが高千穂にいるからですか。そういうことなのですね」
 遙の言葉に二人はギョッとなって、
「ええ、布城くんは奈半利に拉致されて、高千穂に向かっているはずです」
 と麻績が答えた。
「助けにいかないのですか」
「伊勢と出雲の連中が奈半利には向かっています。僕たちの役目はあなたを奈半利の手から守ることですから。大丈夫です。彼らに任せておけば、崇を無事に取り戻し、奈半利を消滅させることが出来ます。それがすめば、高千穂の子供たちに会いにいけるのですよ、柚木野さん」
 遙がじーっと朝霞を見つめる。
「会長、では、それはいつのことなのですか。それが済むのはいつのことなのですか」
 朝霞は言葉をなくしていた。その答を出せるわけはない。朝霞自身にもそれが判らないのだから。
「遙、あの……」
 麻績が朝霞に助け船を出そうとしたが、それは失敗した。麻績にも答えられないのだ。その答は。
「一つ、言わせていただきたいのですけど?」
 遙が二人をまた代わる代わるに見つめた。
「はい?」
 朝霞が遙を見た。
「これは、どちらにとっても、聖戦なのでしょうね」
「せいせん?」
 朝霞と麻績は一瞬その意味を理解出来なくて、口に出した途端その意味を悟った。そして、愕然としてお互いを見つめる。そう、誰もが己らが正しいと信じているのだ。伊勢、出雲、戸隠、そして奈半利にとっても。
「あなた方にとって、あなた方以外の者は、きっと何の意味も持たないのでしょう。だから、私にしても布城くんにしても、巻き込まれたのは単に運がなかった、という程度なのでしょう。麻績さん、会長、あなた方にそれは違うと否定出来ますか」
 遙の瞳が潤んでいた。麻績が口元を何度も動かして、何か言おうとしていたが、結局何も言えなかった。朝霞といえば、そんな二人を哀しげに見つめているだけであった。否定出来ない、それは真実なのだ。どれほどに普通の人々の中に入り込み、戸隠の王国はもはやないとまで言えるようになっても、戸隠の一族にとって、伊勢や出雲の一族に対する思いと、普通の人々に対する思いの丈の物差しは違うのだ。そう、それは遙を愛している麻績にとっても……。
「私、予定を変更しませんわ。これが偽りの手紙だったとしても、私は高千穂に行きます。子供たちに会いに行きます。どれほどに止められても、私は一人でも行きますわ」
 そう言って、遙は立ち上がった。麻績は遙を見上げて首を振った。遙はそれを無視して学生会室を出ていく。朝霞がそっと麻績の肩を叩いた。
「麻績、柚木野さんは、ついてくるな、とは言わなかったよ。彼女は僕たちが守るしかないんだ。さあ、行こう」
 朝霞が麻績の体を抱え上げるように、立ち上がる。
「判っています」
 麻績が顔を引き締め、朝霞に従って学生会室を出ていった。


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