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そして、二、三日後。
珍しく一人、学生会室で執務に励んでいた朝霞であった。その顔をふいっと上げる。すぐに扉がバタンと開かれた。
「麻績、いったいどうしたんだ。お前らしくないな、そんな入り方をするなんて。それに廊下を走っただろ」
「すみません。いいえ、それどころじゃないんです。遙が、遙さんが高千穂に行くと言っているんです」
朝霞がガタッと立ち上がった。
「何?」
「麻績さん、いきなりどうしたの。会長も顔色がお悪いですわ。どうかなさいまして?」
遙が麻績の後ろからひょいと顔を出した。朝霞が、
「まあ、とにかく、中へどうぞ。詳しく話を聞きたいですからね。麻績、扉を閉めて。柚木野さん、どうぞ」
と言って遙に椅子を勧めた。遙が座り、麻績も扉を閉めてその隣に座った。朝霞はその正面に座ると、
「それで、どういうことなのですか」
と切り出した。
「九州の小さな小学校から、お手紙を頂いたんですわ。全学年で十人しかいない、小さな山の学校だと書いてありました。私がこの前CDを出したのはご存知でしょう。それを聞いてくれた子供たちが、私に会いたいと手紙をくれたのです。ちょうど今は、演奏旅行もオフの時ですから、行ってこようと思って。私、子供たちが好きですから。そして、もし私のフルートを聞いて、自分もやりたいと思ってくれたら、これほど幸せなことはありませんわ。それを麻績さんに話した途端、いきなりこの状態ですわ。いったい、どうなさったんですか、お二人とも」
遙が二人を代わる代わるに見つめていた。
「あの……柚木野さん、その手紙を見せてもらってもよろしいですか」
朝霞が言うと、遙は首を傾げて手紙を朝霞に渡した。朝霞がそれに目を通す。二、三度見直して遙に手紙を戻した。
「高千穂ですか?」
疑問符というより、確認の口調で朝霞は言った。
「ええ、そうですわ」
朝霞は麻績と目を見交わす。その視線の先を遙にすると、朝霞は、
「それで、いつから行くご予定ですか」
と言った。
「朝霞!」
と麻績が驚いて声を荒立てる。何か言おうとしている麻績を目で制して、朝霞は遙の答を待った。
「明後日には向かおうと思っていますわ。今度の火曜日が、その学校の登校日ということですから、その時にお邪魔しようかと思っています。高千穂は、神々の伝説の場所ですよね。私、まだ行ったことがありませんから、思いっきり観光をしようと思っているんですよ。普通の演奏旅行では、なかなかそんな時間が取れませんから」
遙はにこにこ笑いながら言った。朝霞は相槌を打つように頷いた。
「そうですね。高千穂は、夜神楽を毎夜観光客のために実施しているとか、神社も有名ですし、渓谷も美しいと聞いています。柚木野さん、僕たちもご一緒してはいけませんか。もちろん、宿も別に取りますし、麻績は僕が見張ってますから。柚木野さんがお一人で行きたいと言われるのでしたら、諦めることにしますが……」
朝霞の整った顔だちを見つめて、遙はクスリと笑った。
「まあ、両手に花ならぬ、両手に野獣ですか? 麻績さんを会長が見張って、では、会長は誰に見張られるのでしょうね」
「そんなに僕は信用がおけませんか?」
朝霞は哀しそうにうなだれた。遙は麻績に視線を移す。麻績は心配そうな表情をして、遙を見つめていた。
「麻績さん、私が一人で旅行に行くのが心配ですか。今までそんなことをおっしゃったことがありませんのに」
麻績は首を振った。
「遙を一人にしたくないだけです」
遙は手を口元に持っていった。そしてハッと気づいたように、視線を落としていた先を麻績に変えた。
「近頃、私を送ってくださっているのは、何か理由がある……ということですか」
朝霞が遙をジッと見つめる。その瞳が揺らめいていた。
「何が起こっているのですか。麻績さん、会長、私に教えてください。この手紙も、それに関係しているということなのですね」
朝霞と麻績が視線を交わす。
「柚木野さん、僕たちもはっきりと判っているわけではないのです。でも、柚木野さんが狙われているのは確かです。だから、僕たちがあなたを守っているのです」
「狙われているって……どういうことなのですか? 私を誘拐して身代金を取ろうと思っているのですか。自慢ではありませんけど、私の家は、この陬生学園では下のほうのランクですわよ。身代金を取ることを考えるのでしたら、もっとふさわしい方が他にたくさんいらっしゃると思うのですが」
「あの、柚木野さん、別に僕たちがあなたを誘拐しようと思っているわけではありませんよ。それに、身代金目当てのことではありませんから」
遙の発想が変な方向に行ったことに慌てて、朝霞が言った。
「身代金目当てではない、ということは、では何ですの」
「まあ、つまりは、柚木野さんの体、ということですね」
「私の体? 私ってそれほどに魅力的ですか」
遥が面白そうに笑う。
「遙、お願いですから、東京を離れないでください。東京でしたら、僕たちがあなたを守ることが出来ます。ですが、高千穂に行くとなると、僕にはあなたを守りきれる自信がありません。敵にとって、あなたを高千穂に連れていくことが目的なのですから。あなたから行くということは、まさに敵の思う壺なのです」
「高千穂に何があるのですか。私が行くことが、敵(?)にとって目的を果たす、ということになるわけですか」
「柚木野さん、あなたが鍵なのですよ。今起こっていることの……」
遙が立ち上がって、
「何なのですか。あなた方の話はさっぱり要領を得ませんわ。私には理解出来ないことばかりおっしゃって。敵とはいったい誰のことです? 誰にとっての敵なのですか。私が鍵とはどういう意味なのですか。私に納得出来るように、お話ししてください。私、この学校の子供たちと約束したのです。絶対に会いにいく、と。私は約束を破るようなことをしたくありません。まさか敵は、その子供たちというのではないでしょうね」
朝霞は首を振った。
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