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「柚木野遙とは、彼女のことか」
陬生学園の大ホールは学園のオーケストラの練習場であった。中等部から大学部までそれぞれにオーケストラは存在するのだが、学年などに関係のない陬生学園全体のオーケストラが別にある。認められれば幼等部や初等部の生徒も所属することが出来るのだ。その練習は誰でも見ることが出来た。奈半利の御荘と松前は二階の最前列で練習風景を見ていた。
物部から柚木野遙を奪取しろとの命令を受けた御荘たちは、その時には遙のことを何も知らなかった。そして調べた結果、二人は陬生学園に来たのであった。
フルート奏者として遙は活躍しているが、普段は学園のオーケストラでのフルートの一員として演奏していた。もちろん、ソロパートではあるが。
「ごく普通の女に見えますけど……」
松前が遙をジッと見つめながら言う。御荘は立ち上がると、
「行くぞ、松前」
と言ってさっさと出口に向かった。松前は一瞬遙に視線を戻して、そして御荘に従った。
二人はやがて高等部のカフェテリアにいた。頓原には顔を知られているが、他の者たちに知らせている可能性はなかった。だから、こうして陬生学園にも顔を出せるのだ。
「柚木野遙と一緒にいる男は何者だ?」
練習が終わって男連れで二人の目の前を通り過ぎる遙をちらっと見て、御荘は呟いた。松前がにっこりと笑った。
「御荘、あれが、戸隠の霧島麻績ですわ。奈半利でもあるはずの……」
御荘がもう一度二人を見て、松前に目を戻した。
「彼らも柚木野遙の重要性に何か気づいている、ということか……」
「あら、それは違うかもしれませんわ。どう見ても、あの二人は恋人同士ですわよ。単に偶然ってことではないのでしょうか。御荘、あまり疑ってばかりいては、肩が凝りましてよ」
松前がまたにっこりと笑う。御荘は笑いもせずに立ち上がった。
「松前、霧島麻績の《力》は判っているのか?」
「あ、いいえ」
松前が慌てて顔を引き締めて言った。
「それに」
と御荘は言いかけて、ふっと後ろを向いた。遙たちに朝霞が合流したのだ。
「あれは……誰だ」
「高等部学生会会長の朝霞という男ですわ。霧島麻績は副会長ですから……」
御荘は黙って歩きだした。松前は慌てて後を追う。
「どうか、なさいましたか、御荘」
御荘の様子がおかしいことに松前は気づいて、おそるおそる問うた。御荘は黙ったままであった。
御荘が再び口を開いたのは、東京の奈半利の隠れ家についてからであった。
「松前、柚木野遙を奪取するのは、かなりの難問だぞ。あの二人を柚木野遙から離すことは、おそらく出来ないだろう。つまり、奴らも柚木野遙の重要性について気づいている、ということだ」
「しかし、私たちの使命は……」
御荘が考え込んでいたが、ふと顔を上げてニッと笑った。
「我らの手で柚木野遙を奪取し、奈半利に連れて帰るというのが理想だが、松前、要するに、柚木野遙を奈半利に行かせればいいのだ」
松前が首を傾げた。どうやって遙を奈半利に自分の意志で行かせることが出来るというのであろう。
「私にいい考えがある。柚木野遙は、フルート奏者として名を馳せているな。それが、コツだ」
御荘の顔に嬉しそうな表情が浮かび、松前は理由が判らないまま、御荘にすべて任せたのであった。
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