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伊勢の倭と朝熊、そして出雲五真将は奈半利に向かった。戸隠は東京に留まり遙を守ることになった。奈半利の王国では彼らを待ち受け、東京では御荘たちが遙を手にしようと計画を立てていた。
出雲五真将は途中出雲に寄らずに、そのまま奈半利に向かったが、伊勢の二人は一旦伊勢に戻ったのだった。倭にとっては、数ヶ月ぶりの伊勢であった。
倭は芳養に会いに行き、朝熊は高屋に会いに行った。朝熊が阿品の屋敷を訪ねるのは始めてのことであった。
「待っていたよ、朝熊」
高屋が朝熊に椅子を勧めながら言った。朝熊は辞退することなく椅子に座る。
「高屋様にお聞きしたいことがあったのですが、私がここに来ることを予期していたのですか」
高屋は紫黒のローブをはおってゆっくりと椅子に座った。
「別にそういうわけではない。私がお前に会いたかったからだ」
「私に何かお話が?」
朝熊が高屋を見つめたが、高屋は何も言わなかった。朝熊は座り直すと、
「高屋様が東京にいらした時に、安芸様のことをご存知ないとおっしゃいましたね。それは本当ですか。阿品である高屋様ならば、何か知っていらっしゃるのではありませんか。それをお聞きしたいと思って、お訪ねしたのです」
と言った。高屋が朝熊をジッと見つめて腕を組んだ。
「朝熊、阿品とは何者だ?」
高屋の問いに朝熊は目を細めて高屋を見た。
「阿品とは、伊勢において、巫覡をお守りする役目の方の総称、だったのではございませんか」
朝熊の答に高屋は口の端を少し歪めた。
「阿品とは、伊勢において、巫覡を絶やすことのないように監視する役目の総称、だったのだ」
朝熊は無言で高屋を見ていた。
「そして巫覡とは、自然に反した伊勢だけの創造物……。消滅してしかるべきものだったのだ。巫覡とは本来必要のないものだった。それを王祖は忘れていた。巫覡とは、我が神の代理人として、常に伊勢にいなければならないのだと考えていたからだ。それを間違いだと今の私には言うことが出来る。巫覡はただ単に、我が王祖の純血種を守り続けただけの種族。我が神の代理人と考えるのは、恐れ多いことなのだ。我が神の代理人としての透明の勾玉の持ち主は、確かに常には現れぬ。そして、伊勢の一族とは関係ないところで彼らは生まれるのだ。朝熊、お前は、伊勢の王国がこれからも栄え続けると思っていたか? お前は王国から外へと、回りを見る目を養ってきたはずだ。伊勢の取ってきた道は、間違っていたのではないか。そうは思わないか、朝熊」
朝熊は即答しなかった。高屋はふうっと息を落とした。
「高屋様、私の取るべき道は一つしかないのですよ。ただ、倭のために私は生き続けるのです。伊勢の王国がどうなろうと、私には関係ありません。私は伊勢の一族であるよりも、ただ倭姫の守り人でありたいと思っているのですから」
高屋が薄く笑った。
「倭姫の守り人か」
「ええ。それが、私の役目ですから」
朝熊が微笑んだ。それが哀しそうに見えたのは、高屋の気のせいだったのか。
「安芸様のことは私もあまり知らないんだ。よく予知をなさっていたということは聞いている。父上ならその内容なども知っていただろうが、あいにく私は教えてもらう前に父上に亡くなられたからな。朝熊、きっとお前のことも予知していたんだろうな。残念だ、私が何の役にも立てなくて……」
高屋はすまなそうに頭を下げた。
「いいえ、高屋様。高屋様には大きな《力》があります。気がつかれませんでしたか? 東京でお会いした時もそう思っていたのですが、今では確信になりましたよ」
高屋が頭を上げて、不思議そうに朝熊を見た。
「私に《力》が? 阿品である私に?」
高屋が疑問に思うのも当たり前であった。阿品として生きた人々は、そのほとんどが《力》が小さく、そしてそれを使うことさえせずに一生を終えたのだ。高屋自身も生まれてこのかた、《力》など小さ過ぎて使うことはなかった。朝熊は頷いた。
「私には判ります。高屋様の回りに漂う藤色の《気》が。おそらく、巫覡が亡くなることによって、あなたに《力》が出てきたのではないでしょうか」
朝熊はそう言って立ち上がった。高屋が安芸のことを知らないのなら、長居することはない。高屋が慌てて朝熊の腕を取った。朝熊が眉をひそめて、
「高屋様、何か?」
と言う。臣下として高屋を崇めてはいるが、朝熊にとってそれは、倭の伊勢での立場を悪くしないための最低限の礼儀に止まっていた。
「あ、いや」
高屋が朝熊の腕から手を離して、言葉を濁した。朝熊が、
「高屋様」
と呼んだ。高屋が自分を向いたのを見定めて、
「香春に言いつけておきましょう。私よりは優しく教えることが出来るはずです。あなたが《力》を使えるようになることが必要だと思いますから。たぶん伊勢にとって……」
と言うと、それでは、と付け加えて高屋の前を辞した。高屋は椅子に座ったままであった。
朝熊の弟、香春はその日から高屋の《力》の使い方の指導に、阿品の屋敷に通うことになった。
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